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選抜高校野球大会『怪物伝説』

センバツから飛び出した“怪物クン”の系譜

 

第87回選抜高校野球大会は敦賀気比が初V。同校・松本哲幣の3本塁打はあったが、センバツは、打者が夏に向けて成長途上にあるためか、投手がクローズアップされることが多い。今大会も一番の話題を集めたのが、県岐阜商・高橋純平投手。高橋はベスト8で散り、怪物伝説を残すまでには至らなかった。センバツの歴史の中で、どんな怪物たちが、ファンを驚かせ、喜ばせてきたのか、投手を中心に振り返ってみる。なお、旧制中等野球時代の選手については触れなかった。
文=大内隆雄 写真=BBM

江川はホップする速球とスト〜ンと落ちるカーブで永久に破られない60奪三振


 筆者のイチ押し怪物は、やはり1973年の江川卓(作新学院)だ。新聞社勤めを始めたばかりで、甲子園には行かせてもらえなかったが、運動部のテレビの前で全試合を見ることを命じられた。江川の評判は、大変なもので「高校野球史上最速投手がいよいよ甲子園に」と、全国のファンの目は、江川1人に注がれていたと言っても過言ではなかった。

 そのウワサの江川、実物の迫力はウワサ以上だった(これだけでもう怪物である!)。

 初戦(2回戦)となった北陽戦、やや小さいテークバックから投じられる江川のボールは、まさにライジングボール。打者はみな、江川のボールの下を空振りするのだ。グ〜ンと伸びてバットの上を行くから、打者は「当たるハズなのになあ。どうしたんだろう」と首をひねるばかり。

 当時のテレビでは、スピードガン表示はないし、バックネット裏からの画像だし、ボールの真の威力は、よく分からないのだが、江川のボールだけはよく分かった。あれだけホップすると(つまり、このへんでボールが落ちてくるという目の記憶を裏切ってそこで落ちない。だからホップするように見える)、「これは違う」と分かるのである。1年後、神宮で法大・江川のホップするボールを実際に「肉眼」で見て、あらためてその威力に驚いたものだった。

 ホップする速球にも驚いたが、スト〜ンとタテに落ちるカーブにも驚いた。実はこのカーブ、江川は大学、プロでは封印してしまったのである。その理由は、のちに、江川自身に語ってもらう。

 ホップするボールのあとにこのスト〜ンを投げられると打者はひとたまりもない。「どちらかにタイミングを合わせるしかない」と思っても、どちらにも合わせられないのである。こういう速球とカーブのコンビネーションは初めて見た。で、打者は三振の山を築くしかなかった。北陽は9回で先発全員の19三振を奪われた。江川は4安打の完封勝ち(2対0)。

 2回戦の相手は小倉南。もちろん、江川を打てるハズもない。江川は10奪三振となった7回でお役ご免。被安打わずかに1(8対0)。

 次は準々決勝、対今治西戦。江川のボールはますます凄みを増す。今度は9回で20奪三振。被安打1(3対0)。

 ここまで25イニング投げて、実に49奪三振! どこまでこの数字は伸びるのか。

 準決勝は広島商との対戦。機動力と小技で相手のスキを突く、こすっからい野球が伝統のチーム。江川も広島商にだけは勝手が違った。

「高校生ならだれもが空振りしてくれた高めのストレートに手を出さないんです。そして、しっかり四球を選ぶ。8つも四球を出したのは初めてです。2失点も初めてでした」(江川)

 この2点で作新は敗れてしまった(1対2)。

 江川の失点場面はこうだ。5回、一死一、二塁で投手の佃正樹が右前タイムリー。江川の前年からの無失点記録は139イニングでストップした。

 決勝点となった8回の2点目は、二死一、二塁からダブルスチールを仕掛けられ、捕手の小倉偉民の三塁悪送球で入った。

 広島商の安打はわずか2本。そのうち1本がタイムリー。2点目は相手のエラーを誘う“足攻”。いかにも広島商らしい“江川崩し”だった。

 さて、江川の奪三振はどうだったか? 8イニングで11。4試合合計で60奪三振となった。これは第一神港商・岸本正治の54奪三振(30年)を破る大会最多記録となった。多分、これは永久に破られることはない数字だろう。

センバツ大会記録となる通算60三振を奪った江川。文句なしのセンバツNo.1投手だ



 このへんで、江川のスト〜ンと落ちるカーブの封印の話に戻ろう。

「高校野球は負けたら終わりですから、とにかく全力でアウトを取りに行く。そのためには三振を取れるあのカーブを多投せざるを得ませんでした。でも、大学野球は、勝ち点制ですから、常に3連投を覚悟しなくちゃならない。そうなると、いつも全力というワケにはいきません。慶応戦では4連投もありましたから」と江川。極端に言えば、対戦5校(早慶明立東)とすべて3連戦3連投ということもあり得るワケだから、これをトーナメントの意識でやったら、まずつぶれてしまう。

 プロでスト〜ンのカーブをあまり投げなかったのは、プロの打者はこれを見逃したり、ファウルにしたりする技術を持ち、決め球にはなりにくかったからだろう。さらに、多投すればヤマを張られて狙い打ちされる。

 江川のことをあまりに長く書き過ぎただろうか? そうは思わない。センバツ87回の歴史の中で最高のボールを投げ、最多の三振を奪った男について、いくら書いても書き過ぎということはないのだ。まあ、とにかく凄い投手だった。

センバツでも社会人でもプロでも怪物的活躍をした平松
センバツ39回無失点は不滅


 次なる投手は、65年の平松政次(岡山東商)である。平松は、センバツでも怪物だったが、都市対抗でも優勝投手(日本石油)となりMVP。大洋に入団しても2度の最多勝と通算201勝。巨人戦55勝は史上2位と、どの段階の野球でも怪物的成績を残している。これは、センバツ優勝投手の中では、平松のみが成し遂げた快挙である。

 平松の甲子園デビューから見ていこう。1回戦の相手はコザ。平松はほとんどがストレートのピッチング。それでもコザ打線は手も足も出ない格好で11三振を奪われ完封負け(0対7)。平松はバッティングでも非凡なところを見せ、五番を打って2安打1打点。まだ、沖縄のチームは全体に非力な時代だった。

 2回戦は東京の洗練された都会チームの明治。技巧派の左腕、今井恒夫は岡山東商にホームを許さない。しかし、平松は、ひたすら自分のピッチングに徹し、こちらも明治に得点を与えない。とにかくコントロールが良く四球を与えない。9回表、明治の攻撃がゼロに終わると、その裏、岡山東商は三番・中島賢一にタイムリーが出てサヨナラ勝ち(1対0)。平松は2試合連続完封勝ちとなった。8奪三振。

 準々決勝は2試合で16点を上げている静岡が相手。しかし、岡山東商打線が5回までに3点を取ったことで平松はリラックスして投げ、またまた完封勝利(3対0)。9奪三振。このころになると、平松の無失点快投が大きな話題になってきた。

 準決勝は好投手、利光高明を擁する徳島商。平松もやや疲れが出たのか、徳島商の四番・安友定吉に3安打を浴びせられた。一人の打者に3安打されたのは今大会初めて。しかし、その他の打者には2安打しか許さず、4回に板野鎮雄のタイムリーで挙げた1点を守り切って四たび完封(1対0)。奪三振は8。4試合連続完封は大会タイ記録だった。

 昨年、平松にプロ以前の話を聞く機会があったが、平松は「プロ入り後とは違い、真上から投げ下ろすオーバースロー。でも、アーム式でね、そんなに速い伸びる球じゃなかった」と話した。筆者には、剛速球に見えたし、打者も、あれほど打ちあぐんでいるのだから、これは平松の謙そんだろう。たしかに、江川のような、グ〜ンとホップするストレートではなかったが、とにかくここまで4試合で四死球がわずかに4。この抜群のコントロールがすべてだったかもしれない。

 さて、決勝の相手は、市和歌山商。ここには、2回戦の中京商戦で実に41年ぶりとなる1試合2本塁打をマークした強打の藤田平がいた。この藤田を筆者は、センバツの怪物打者の一人に挙げたい。準決勝まで毎試合安打の18打数8安打。打率.444。本塁打2、二塁打3という猛打。平松対藤田、これが決勝戦のポイントだった。

 結果は? 藤田は平松から2安打。しかし、タイムリーはなかった。ここが勝負の分かれ目だったかも。岡山東商は3回に1点を挙げたが、市和歌山商は4回に一死一、三塁とし、九番の土津田司が右前にタイムリー、同点とした。この大会、平松が奪われた唯一の得点だった。大会連続無失点記録は39イニングでストップした(大会新記録)。以後は平松、市和歌山商・岡本喜平の息詰まる投手戦となり延長へ。13回裏、岡山東商は、一死二塁でまたも中島が中前にサヨナラヒット。岡山東商の初優勝となった(1対0)。

驚異の39イニング連続無失点で頂点へ駆け上がった平松。制球力抜群の剛球を投じた



 それにしても、平松の右腕は凄かった。5試合に完投、49イニング投げてわずかに失点1。奪三振も決勝の8を加えて計44。さらに5試合で四球6の見事な制球力。センバツ史上、いわゆる本格派で、平松以上のバランスの取れた投球内容を見せた優勝投手はほかにいない。

野球頭脳にも優れていた池永


 平松ほどのスピードはなかったが、投球術という点では、センバツ史上最高という評価なのが、2年前の63年の優勝投手、下関商の2年生エース・池永正明だ。

 1点差試合を2度しのぎ、決勝では完封という、まさに、見せて、うならせるピッチング。2回戦の和歌山海南戦では延長16回を投げ抜き、3対2のサヨナラ勝ち。池永は12安打を許したが四死球ゼロ! 16回で四死球を1つも出さないとは、恐るべき集中力である。

野球頭脳にも優れていた池永。春を制し、夏も決勝までチームを導いた



 スライダーの制球力が抜群で、加えて意表を突いてど真ん中に投げる度胸のよさ。ネット裏のスカウトたちは「球威とか何とかよりも、野球頭脳はすでにプロの一級品。すぐ使える」と太鼓判を押した。事実、池永は、この年の夏の甲子園でも決勝まで進出。65年、西鉄に入団すると20勝で新人王。5シーズンで99勝と安定した勝ち星を挙げる頼れるエースになった。あの“黒い霧事件”で70年に永久失格選手(のち解除)となったのは、かえすがえすも残念なことだった。

天才的投球術で勝ち抜いた池永
王、柴田、松坂は打撃でも魅せてくれたエースたち


 ここまでが筆者の“センバツビッグ3”。以下、57年の王貞治(早稲田実)、61年の柴田勲(法政二)、ずっと下って98年の松坂大輔(横浜)がそれに続く。

 この3人は、投球も素晴らしかったが、打撃でも見せてくれた。王は四番、柴田は五番、松坂は準決、決勝で四番とまさに投打の大黒柱。98年の大会は、いわゆる“松坂世代”の好選手がそろい、決勝の相手、関大一には久保康友(現DeNA)、東福岡には村田修一(現巨人)、PL学園には上重聡(のち立大、現NTV)、敦賀気比には東出輝裕(現広島)、創価に小谷野栄一(現オリックス)、日大藤沢に館山昌平(現ヤクルト)、樟南に鶴岡慎也(現ソフトバンク)ら多士済々。そんな中で、松坂は5試合中3試合を完封、45回を投げ43奪三振。平松、池永に劣らない快投だった。

5試合で3完封して春を制した松坂。夏も頂点に立つなど怪物として注目を浴びた



目立たないが東浜の力投も立派。センバツ史上最強打者は松井。KKは印象薄い


 案外忘れられているのが2008年、沖縄尚学の東浜巨(現ソフトバンク)の力投だ。5試合で2完封。初戦と決勝が完封だから、お見事と言うしかない。ここというときに力を出すタイプで、筆者には忘れられない。

ここというときに力を発揮する投球が印象に残る東浜。チームの9年ぶりの全国制覇に貢献した



 東北のダルビッシュ(のち日本ハム、現レンジャーズ)は03、04年と連続出場しているが、あまり印象に残っていない。03年は3回戦で花咲徳栄に9対10という大乱戦で敗れ、04年は、準々決勝で済美とこれまた乱戦で6対7の敗戦。この試合はダルビッシュが投げず、真壁賢守が完投。センバツでのダルビッシュは記憶に残る投手ではなかった。

 なかなか打者の話にならないが、市和歌山商・藤田平をしのぐセンバツで3本塁打したのは、92年の星稜・松井秀喜(のち巨人、ヤンキースほか)。この年からラッキーゾーンが撤去され、外野が広くなった甲子園での3本塁打だから価値がある。

 1、2本目は宮古戦での2打席連発。3本目は堀越戦。巨体に似合わぬ、コンパクトなスイングだが、スイングスピードが恐ろしく速い。それでいて変化球への対応も素晴らしく、スライダーがスッと沈むところをとらえた一発は、とても高校生のバッティングではなかった。松井以前、以後にも豪快な打者はいたが、やはり、松井はセンバツ史上の最強打者だろう。

高校生離れしたスイングスピードを誇った松井。甲子園でも敵なしだった



 PL学園・清原和博(のち西武ほか)も2年時の84年に3本塁打、翌85年にも1本塁打と打ちまくったが、筆者の印象は薄い。というのも84年は準決、決勝で7打数1安打。85年は、準決勝で、のちに西武でチームメートとなる渡辺智男に3打数3三振と肝心なところで打てていないからだ。清原と言えば、桑田真澄。夏の大会は素晴らしい投球を見せたが、センバツでは投より「五番・桑田」のバッティングの方が目立った印象。84年の砂川北戦で打った2本塁打は3ランと2ラン。この試合7打点と打ちまくった(18対7)。もっとも、読者はお忘れかもしれないが、この試合の桑田は「五番・ライト」。投手は田口権一・高松省平のリレー。KK時代のPLの7失点というのは珍しい。

 桑田は決勝の対岩倉戦では、さすがの投球を見せた。6安打14奪三振の1失点。しかし、PL打線は、岩倉の山口重幸(のち阪神)が打てず完封されてしまった。KKがノーヒットに抑えられ、チームもわずか1安打では勝ち目はなかった。

 このへんで筆を擱おくことにしよう。(文中敬称略)
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