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怪物高校生特集

清原和博、松井秀喜、中田翔…歴代“怪物高校1年生”の歴史

 

今週は清宮幸太郎の魅力をさまざまな角度から分析する特集。超逸材であることを疑う余地はないが、果たして過去のスーパースターと肩を並べることができるだろうか。過去に高校球界を騒がせた、偉大な3人の先輩たちの1年目を振り返る
文=楊順行、写真=BBM

清原和博
打撃スタイルの下地を作った上級生対策の右打ち




 よっしゃ、一番乗りで走ったろ――。

 1983年、PL学園高に進学した清原和博の入寮初日のことだ。早朝にグラウンドに出向くと、一番のはずが、まだ薄暗がりの中で外野を黙々と走っている男がいた。桑田真澄(元巨人ほか)だった。

「どことなくほかの選手と違った雰囲気を持っているので、一目置いていました」

 のち、高校3年になった清原にそう聞いたことがある。桑田が遠投する姿を見て、ピッチャー志望はすっぱりあきらめた、とも。「PLくらいになると、各中学の一番ええヤツが入ってくるわけですから。ピッチャーで四番というのは無理なんかな、と思いました」。だが、だからこそ。通算13ホーマーという、甲子園史上最強打者が生まれたのだ。「一番ええヤツ」が集まるPL学園高で、しかも1年生から四番を打つようになるきっかけは5月、興南高との練習試合だ。上級生が仲田幸司(元阪神ほか)をまるで打てない中、二塁打を放ったのだ。PL学園高はもともと、少数精鋭主義。だから1年生でも、認められれば10本程度はフリー打撃で打てる。だが当時は、厳格な上下関係が存在した。練習からあまりに目立てば、ただでさえ厳しい寮生活がさらにつらくなる。

「打撃練習で普通に打ったら、飛ばない竹バットでも7、8割はフェンスを越えます。でも、それだと目をつけられる。じゃあ、一番ホームランになりにくいのはどこか。それはライトだな、と考えて、センターから右方向に打つようになった」というのは、のちの本人の述懐だ。なるほど、清原といえばプロ入り後も、逆方向へのアーチが印象的だが、その基礎工事は「先輩に目をつけられないため」に行われていたわけだ。

 もっとも中村順司監督(当時、現名商大監督)は、「右打者は、センターから右への打球が一番飛ぶ」というのが持論で、清原の打球がそのお眼鏡にかなったのかもしれない。

 迎えた夏は、堂々たる四番だ。大阪府大会は決勝以外の5試合すべてでヒットを放ち、22打数9安打1ホーマー。1年生としては、合格点以上の成績で甲子園に乗り込んだ。

 甲子園では、府大会の4回戦で吹田高を完封した桑田が実質エースとなり1、2回戦と完投勝ちを収めたが、清原はまるでヒットが出ない。初安打は東海大一高(現東海大翔洋高)との3回戦で、それにしてもよけたバットに当たったボールが、右前に落ちたものだった。続く高知商高との準々決勝は長打3本で3打点と爆発しかけたが、桑田が完封して一躍名を拳げた池田高との準決勝では、水野雄仁(元巨人)の前に4三振と、まだまだパッとしなかった。そして――。待望の一発は決勝の1打席目、横浜商高・三浦将明(元中日)から、持ち前の右翼へのもの。

「ホームランがないのは、やっぱりイヤでしたよ。でも1年夏の甲子園というのは、わけもわからずに行って、アッという間に過ぎたという感じ」と本人は回想するが、つごう23打数7安打1ホーマーの6打点で優勝に貢献し、桑田とともにKKと並び称されるようになる。もっとも、ヒットの出なかった2回戦までは、神経性の下痢だったらしい。怪物にも、1年生らしい可憐さがあったのだなあ。



PROFILE
きよはら・かずひろ●1967年8月18日生まれ。大阪府出身。PL学園高では1年時から四番に座り、5季連続甲子園出場を達成。優勝、準優勝には2度ずつ、ベスト4にも1度輝いている。高校通算64本塁打。86年にドラフト1位で西武に入団。黄金期メンバーとして活躍。その後巨人にFA移籍し、2008年にオリックスで引退。プロ通算22年、2338試合、525本塁打、1530打点、打率.272。

松井秀喜
幼少期からケタ外れだった「200メートル飛ばす男」




 星稜高に、とてつもない1年生がいる。

 そんな噂が聞こえてきたのは、1990年の春だった・・・

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