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2015横浜DeNAベイスターズ特集

17年前の横浜優勝の軌跡

 

17年前横浜の街は大騒ぎとなった。権藤監督による放任主義と大魔神、マシンガン打線が豪快な試合を生み、優勝へと突き進んだ。あの興奮の渦に巻き込んだ当時の横浜ベイスターズ98年の軌跡を辿る
文=中野聖己、写真=BBM

1998年は38年ぶりのリーグ優勝&日本一に輝いたが、マシンガン打線と大魔神・佐々木[写真上]の大活躍で横浜旋風を巻き起こした



自主性と自覚が生み出した歓喜の日本一


 17年前、横浜ベイスターズを38年ぶりのリーグ制覇、日本一の栄冠へと導いたのは、59歳で初監督として指揮を執った権藤博監督だった。バントなし、ミーティングなし、監督呼称禁止など奇抜な采配で注目を集めた「権藤マジック」。優勝チームには付きものと言われる神がかり的な“奇跡の勝利”が、98年の横浜にも数え切れないほどあった。

 開幕投手には、大方の予想を覆して2年目の川村丈夫(現投手コーチ)を抜擢。指揮官の英断にこたえて、開幕戦では史上3人目となる1安打完封勝利の快挙を達成し、開幕3連勝と最高のスタートを切る。4月は9勝9敗、5月は13勝10敗と勝ち越し、6月に怒涛の快進撃を見せ首位へ躍り出ると、Vへの勢いは加速する。1イニング全員安打(7月5日、対ヤクルト戦)、9回裏に6点差を追いつく引き分け(7月12日、対中日戦)、0対7からの奇跡の大逆転劇(7月15日、対巨人戦)と「もののけにつかれたよう」(権藤監督)な劇的な試合が続き、7月には球団タイ記録となる10連勝をマーク。2年連続首位打者の鈴木尚典、チーム史上最強助っ人のロバート・ローズを軸に、打ち出したら止まらない驚異のマシンガン打線が火を噴いた。

 ムダなアウトを一つやるような試合序盤からの犠牲バントはしない。このチーム方針で、石井琢朗波留敏夫の一、二番コンビはアイコンタクトで攻撃を仕掛けていった。ベテラン・駒田徳広をはじめ、満塁時でのチーム打率は.368と、好機には確実に得点に結びつけ、代打陣の勝負強さも光った。

 権藤監督がシーズン中、貫き通したのは・・・

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