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特集・80's〜90's 助っ人黄金時代

デストラーデに聞く黄金期西武、野茂、日本シリーズ

 

5シーズンで3度の優勝と日本一をもたらし、西武黄金時代を支えたデストラーデ。来日後すぐに活躍した秘訣と、外国人選手が日本で活躍するために必要なことを聞いた。
取材・翻訳=池田晋、写真=BBM



外国人にとって西武は理想的な球団だった




 西武に移籍する前は、中日阪神も私に興味を持ってくれていたようだ。交渉は代理人に任せていたけど、自分が直接会ったのは西武の葛谷晨一(通訳)さんだけ。彼がアメリカまで会いに来てくれて、西武入りが決まった。当時はパイレーツでメジャーと3Aを何度も行き来する状態にストレスを感じていたから、日本からのオファーには喜んだよ。

 このときチームメートになったバークレオは素晴らしい人格者で、今も友人さ。現在はインディアンスのコーチをしている。彼にとっては非常に難しい状況だった。当時の外国人枠は2つだけ。私は一度も二軍に戻ることはなかったが、彼は一軍と二軍を行き来していた。

 バークレオは前年38本塁打の素晴しいパワーヒッター。日本でスーパースターになれる素質を持っていたが、十分なチャンスを得られなかった。私はライバルとして彼の前に立ちはだかったが、自分のことを必死にやるしかなかった。もう一人の外国人である郭泰源も外せない存在だったからね。

 現在のように外国人枠が4つなら、彼は間違いなく活躍したはずさ。最高のチームメートだった。彼にいろいろ教えてもらったし、大きな恩がある。ライバルのはずなのに、私が日本の野球に馴染めるように助けてくれた。

 外国人選手が日本で成功するのに一番大事なのは、どの球団を選ぶか。日本に順応するのに、まず大事なのが組織だ。その点でも西武は素晴らしいチームだった。外国人がチームと日本のスタイルに慣れるのを助けてくれる体制が整っていた。

 2番目に重要なのは、その国に早く順応できるかどうか。外国人選手は完全に違う文化、環境にいることを理解しないといけない。80年代に日本へ来たカリブ人は、ベネズエラ、キューバからアメリカへ渡ることで、すでに一度外国を経験している。彼らは異なる文化がどういうものなのかを理解している。この20年間、日本で活躍した選手はヒスパニック系が多いだろ? カブレラ(元西武ほか)、デストラーデ、バレンティン(ヤクルト)。スペイン語を話すわれわれにとって、日本語は英語より発音しやすい点も見逃せない。

 3番目に大事なのは・・・

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