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2015記録トピックス中間報告

中日・谷繁兼任監督 迫る3018試合出場の日本記録

 

現役生活27年の大ベテランが、日本プロ野球界の頂点に立つ大記録を目前に控えている。プレーイングマネジャー2年目の今季は指揮官に重きを置いているが、捕手としての存在感もいまだに健在だ。

負けず嫌いな男


前半戦終了時点でNPB新記録まであと3試合に迫った。後半戦の大記録樹立はほぼ確実だ



 少なくとも、球団側の願いはあと少しでかなう。

 2013年10月、就任したばかりの落合博満GMが谷繁元信に兼任監督としての就任を依頼したとき、用意した契約年数は監督として4年、選手として2年だった。その理由を西山和夫球団代表は「彼が狙っている記録を尊重している表れ。そのために2年間のバックアップをしていく」と明かし、落合GMも「第一の個人的な目標は、『何とか見えてきた野村さんの数字を抜きたい』。それが現役選手・谷繁を動かしてきた原動力。それを捨ててまで監督というのは受けていないと思っている」と説明している。

 野村克也(元南海ほか)の持つ歴代最多の3017試合出場まで、当時は残り117試合。新記録を達成するためにあえて2年契約を用意していた。

 兼任監督と2年契約は監督就任へのいわば交換条件だったが、引き受けた側の思いは微妙に違っている。谷繁が歴代最多出場にこだわっていることを明かしたことは1度もない。昨年末の契約更改では「抜けるように頑張ります」と話しているが、目前に迫っていることと周囲の期待を感じているからだろう。谷繁が常々口にしているのは「自分はとにかく負けず嫌い。引退するまで優勝したい、勝ちたい。その結果の試合数だと思う」。しがみついて記録を達成したいというよりも、日本球界で最も負けず嫌いであろう男が結果として刻む記録と言える。

強い体を築いたもの


 さまざまな出会いと転機があってここまできた。谷繁は1970年12月21日、中国山地にある広島県比婆郡東城町(現庄原市)に生まれた。城下町ではあったが、自宅から歩いて数分のところに川があって山もあった。小さいころは・・・

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