週刊ベースボールONLINE

左腕の誇り・サウスポー特集

宮西尚生、中崎雄太ら“サイドスロー左腕”の生き様

 

貴重なサウスポーの中で、さらに希少価値が高いのはサイドスロー左腕だ。過去には角盈男(巨人ほか)がクローザーとして活躍、さらに永射保(西武ほか)、清川栄治(広島ほか)らが左キラーとしてその名をはせたが、現在でも1球団に1人いるか、いないか。現役サイド左腕、彼らの生き様を見ていこう。

プロ初年度にサイドへ改造した宮西



 現在の球界でサイドスロー左腕として代表的な存在は宮西尚生(北海道日本ハム)と森福允彦(福岡ソフトバンク)だろう。

 宮西は8年連続50試合登板以上を続け、今季はパ・リーグ史上初の通算200ホールドを達成した。プロ入り初年度、2008年の春季キャンプで投球フォームの改造に着手し、それがその後の成功のきっかけになった。関学大2年時に大学日本代表入りし、3年以降はそれまでサイドだったリリースポイントを、球速アップを目的にオーバースローに変更。だがそこからは思うような結果を残せず、ドラフト時には各球団のスカウト陣の評価も下落傾向にあった。そんな中で日本ハムはドラフト3位で指名。

 その時点から当時の担当スカウトだった山田正雄氏は厚澤和幸1軍投手コーチ(当時)と協議を重ね、まだプロで1球も投げていない宮西を大学2年時のフォームに戻させることを決断。1年目のキャンプから宮西は厚澤コーチと二人三脚でのフォーム改造で、現在の変則左腕・宮西尚生が誕生した。その決断が成功だったかどうかは、ここまで残した成績が物語っている。

森福はシュート習得で勝利の方程式へ



 一方の森福は大きくインステップして振る左サイドハンドからスライダー、シュートとの横の変化での揺さぶりが持ち味だ。シダックス出身で野村克也氏の門下生。直球とスライダーのみだった球種にシュート習得を説かれ、いまがある。秋山幸二政権下で初のリーグ優勝を果たした10年に台頭し、11年以降は4年連続50試合以上登板。「右も左も関係ない。1イニング任せられるということは、そういうこと」と、勝利の方程式に名を連ねた。

 しかし、工藤公康監督に代わった昨季は、防御率5点台に沈み、登板数は32、イニングは17止まり。信頼を失った。今季は走者を置いた局面での左一殺が主な仕事。再び一から信頼を築き上げる日々だ。

左キラーにやりがい感じる久古



 昨季、チームの14年ぶりリーグ優勝に大きく貢献したのは久古健太郎(東京ヤクルト)だ。今季も欠かせない中継ぎ左腕がサイドスローになったのは社会人1年目のこと。状態が上がらず悩んでいたとき、何かを変えたいと思いヒジを下げた。するとボールの質が良くなり、コントロールも向上。そこからプロへの道が開けた。

 また、入団時、「左を抑えてくれ」と言われ、左打者を意識するようになったという。今では左のワンポイントとして仕事が主だ。「(左打者に向かうときは)自分が優位に立っている気持ちではいます。『打ちづらいでしょ?』って(笑)。そう思わないと大胆に行けないですね」

 昨季の日本シリーズではソフトバンク・柳田悠岐を封じ込み、堂々とその役割を果たした。「(左のワンポイントが)僕の一番の仕事だと思うので、その役割はちゃんと果たせるようにしたい。(変則左腕は)左バッターに関しては抑えて当たり前だというイメージ。そういうふうに自分もなりたい」

 ワンポイントの難しさを知り、やりがいを感じた左キラー。左打者には久古だと誰もが口にする日もそう遠くはない。

松井秀喜氏に絶賛された公文の進歩



 プロで生き残るために、“腕を下げた”若き左腕たちも奮闘している。“ポスト山口鉄也”と期待されるのが公文克彦(巨人)だ。昨オフにスリークオーターからサイドに転向、「左打者は絶対に抑えたい」と左キラーとなる覚悟を示した。春季キャンプでは松井秀喜臨時コーチに「嫌がる左打者は多いと思う」と絶賛されたが、開幕後はスリークオーターよりも、ややヒジを下げた位置に。

 だが、公文の最大の特徴は腕の位置だけではない。松井コーチが嫌がったのも、実は極端にインステップするその踏み込み。左打者を目掛けて踏み込むため、ストレートには大きな角度がつき、左打者にのみならず右打者にとっても厄介な投手である。今季は12試合に投げて、6月2日に2軍降格となったが、まだ発展途上の投手。14年、15年は1軍登板ゼロを考えれば、大きな進歩だろう。

自己最多登板を更新中の竜の左キラー



 昨季途中にオーバースローからサイドスローへ転向し、飛躍のきっかけをつかんだのが小川龍也(中日)だ。入団5年目の14年までは通算10試合の登板にとどまり、その年のオフに左ヒジの遊離軟骨除去手術を受けた。心機一転して迎えた15年シーズンだったが、4月11日、ウエスタン・リーグのオリックス戦(神戸サブ)で打者1人との対戦で安打を許し、大胆なフォームチェンジを決断した。

「実は3年目くらいからサイドにしたほうがいいかもしれないと思っていました。あの試合でもう限界かなと思って決めました」

 今季は初めて開幕1軍をつかむと、主にワンポイントとして自己最多の登板数を更新中。対左打者の被打率は1割9厘と役割を果たしているが、「左だけじゃなく右も抑えられる投手を目指す」と意気込んでいる。

テレビから消える!?中崎雄の大胆改造



 テレビ画面から消える――。今季、その投球で話題を集めているのが中崎雄太(埼玉西武)だ。打者に背番号「46」が見えるほど、背中を向けたセットポジションから、体を倒しながら一塁側へ右足を踏み出して横から投球。その後、一塁方向へ2、3歩ステップするために、テレビ画面で見ると左へ“消えて”しまうのだ。

 2009年、日南学園高からドラフト1位で西武入団。2歳下の弟は広島でクローザーを務める中崎翔太だ。期待されながらも芽が出ず、1軍登板を果たしたのは13年の7試合のみ。昨年8月には左手中指、人さし指、手のひらの血行障害の手術を受けた。背水の陣で迎えた8年目の今季、意を決し、3月中旬にサイドスロー転向を果たした。「上でやるには横からのほうがチャンスがある」。幸い、2軍投手コーチには現役時代、サイド左腕として鳴らした清川栄治氏がいた。

 歩みだした左キラーへの道。昨季、イースタンで対左の成績は43打数8安打で被打率は1割8分6厘。今季は22打数2安打、9分1厘と成績も向上し、5月12日に1軍昇格。現在は6試合に登板して防御率は4.15だが、左打者は8打数1安打、打率1割2分5厘と抑え込んでいる。果たして今後、この投法をどこまで自分のモノにできるか。自身の名は“消える”ことなく、球史に名を刻みたい。
特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング