今を輝くスター選手にも下積み時代があった。その時期に彼らが流した汗、努力が現在の土台をなしている。ここからは、そんなプロ野球版「あすなろ物語」を紹介しよう。最初はヨコハマの四番から、ニッポンの四番へと成長を遂げた大砲の、覚醒前夜ストーリーをお届けする。 写真=BBM 激怒した中畑監督。横須賀での残留練習
今の立場を思えば、信じられないような低迷ぶりだった。23試合で打率.216、1本塁打、3打点。
筒香嘉智が2013年に一軍で残した成績だ。当時はプロ4年目。四番候補として見込まれ「六番・三塁」で初めて開幕スタメン入りを果たした。
ところが、
中日3連戦で9打席連続無安打。4月1日に出場選手登録を抹消され、ベテランの
中村紀洋にポジションを奪われた。再昇格に約3カ月(6月25日に出場選手登録)かかり、初本塁打は7月6日の
巨人戦[東京ドーム]。浮上するきっかけをつかめずにもがき続けた。
「筒香のフリー打撃を見て久々に感動した。すごいヤツがいるな、と。ベイスターズを背負っていく自覚をどこまで持たせられるかが大事」
12年から
DeNAの初代監督を務めていた
中畑清監督の第一印象。期待が高いからこそ、視線は鋭く、厳しくなっていった。
「10年に1人の逸材と言われて、本人にもそういう意識があるんじゃないか。打率.210でクリーンアップみたいな顔をしやがって。ふざけるな」
シーズンオフに発した痛烈な言葉。秋季キャンプのメンバーから外れ、横須賀・ベイスターズ球場で残留練習することになった。
「フォームが分からなくなった。打撃が壊れていく感覚ですよね。一軍にいて野球が怖いというか、嫌になった。そういう気持ちになったのは初めてでしたね……」
10年に横浜高からドラフト1位で入団し、背番号55。「ハマのゴジラ」と称され、注目を浴び続けた。ルーキーだった10年10月7日の
阪神戦[横浜]で
久保田智之から右中間席へ一発。プロ初安打と初本塁打、初打点を同時に達成した。2年目に8本塁打。3年目は規定打席をクリアし、2ケタの10本塁打に乗せた。背番号も55から8、尊敬する
村田修一(現巨人)が着けた25へ。ここから……というときに受けたショックは大きかった。
プロ1年目の2010年、春季キャンプでバットを振る筒香。一軍定着まで5年の月日を要した
秋季キャンプに帯同しなかった野手は
飛雄馬、
渡邊雄貴の3人だけ。個別練習の場所は決まって室内だった。「もう1回頑張ろう。自分の感覚を信じて、もう1回つくり直そう」。
高木由一二軍チーフ打撃コーチが温かく背中を押し、
大村巌同打撃コーチはいつも寄り添ってくれた。
「同じメニューを毎日やるんですけど、本当にしんどかった。でも、自分を・・・
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