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超一流のブレーク前夜

12球団主力選手 一流になるには理由がある! セ・リーグ編

 

プロ野球のユニフォームにソデを通したことに満足し、ただ、漠然と日々を過ごしていては殻を破ることはできない。結果を残し続けている選手は泥臭く練習を積み、成長へのきっかけを逃さない。未来を信じ、けっしてあきらめなかった者だけが一瞬のチャンスをつかめるものだ。一流になるには理由がある。12球団主力選手のブレークスルーできた秘密とは――。


広島・新井貴浩 「化け物」と呼ばれる体力が培われた日々



 昨季のセ・リーグMVP。40歳となった今季も若手には負けんと堂々と赤ヘル打線の四番に座る頼れるベテランにも、プロの厳しさにもまれた日々があった。

「いま、『同じ練習をしろ』と言われても無理でしょう。すべてがきつかったですね。朝から晩まで野球漬けで、夜、目を閉じたら体感的には3秒で朝が来る。朝が来たらすごく憂鬱なんですよね。『また1日が始まる』って。考えただけでゾッとします」

 徹底的にしごかれたのが守備だった。毎日のように泥だらけになりながらノックの雨を浴びる日々。だが、そこで生きたのが人並み外れた丈夫な体だった。並の選手であれば耐えられないほどの猛練習を積み重ねたことで、チームメートから尊敬を込めて「化け物」と呼ばれる体力が培われた。「あの練習がなかったら今の自分はない」。泥にまみれながらこなした猛練習が、現在の栄光へとつながっていた。


巨人・山口鉄也 原動力となっているマイナーでの経験



 10年連続60試合以上登板もさることながら、投げるたびにホールドの日本記録更新を続ける左腕のルーツはモンタナ州ミズーラにある。横浜商高卒業後、ダイヤモンドバックスのテストに合格。傘下のルーキー級ミズーラ・オスプレイで3年を過ごした。環境は悪く、「ロッカーはコンテナみたいに狭く、食事もピーナッツバターが塗られた食パンやリンゴが置かれているだけ(苦笑)」。3シーズンの最高成績は「先発した2年目か3年目の6勝7敗」で翌春のキャンプ後に帰国。その年の横浜、楽天は不合格も、最後に受けた巨人のテストに合格し、球団第1号の育成選手に。当時の背番号は「102」。その後のサクセスストーリーは説明不要だろう。

 なお、タフに投げ続けられる原動力はいまだに「ファームに落ちるのが怖い」から。「マイナーでも一番下のカテゴリーで、巨人でも始まりは育成選手。そういうところに戻りたくないという気持ちが今もある」と真剣に語る。


DeNA・下園辰哉 たたき込まれた積極的なバッティング



 心の底から感謝している。下園辰哉にとっての恩人は田代富雄氏(現巨人二軍打撃コーチ)だ。「あの方がいなければ、今こうして自分がプレーしていることはないと思います」。これまでと同様に開幕を二軍で迎えた2009年。5月に大矢明彦監督の無期限休養が発表され、田代二軍監督が代行監督を務めた。新人時代から徹底してたたき込まれたのは、ファーストストライクは必ず振ること。「打てなかったら3球振って帰って来い」と背中を押してもらった。

「本当に分かりやすかった。チームに対しても『27球で終わってもいいから、1球目から振っていけ』と言ってくださる方でしたから」

 このシーズンが転機となり、5月22日の西武戦[西武ドーム]でプロ初本塁打。積極性に加えて選球眼も磨いた。「少しずつ自信が持てるようになったのも田代さんのおかげ」。ここ数年は代打の切り札として絶対的な地位を確立。“オバQ”の教えが支えになっている。


阪神・鳥谷敬 今も続けている地道なルーティン



 地道なルーティンの積み重ねが「新鉄人」を作り上げた。鳥谷敬は今や、球界屈指の「練習の虫」として知られる存在だ。ホームでナイターゲームがある日は午前10時前後には球場入りが日課だ。ウエート・トレなどで体を起こした後、黙々とランニングを始める。早出練習組が打ち込みを始めるより、さらに1、2時間前のことだ。音楽を詰め込んだiPodを片手にクラブハウスを出る。甲子園であれば時には室内練習場で、時には外野フェンス裏の観客通路を左翼ポールから右翼ポールを何度も往復。約30分のランニングで汗を流す。

「日課ですね。いつから走り始めたかは覚えていないけど、走り出したら・・・

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