週刊ベースボールONLINE

トラの助っ人コラム メッセンジャーの「Messe's Road」

メッセンジャーコラム「11歳くらいで初めてピッチャーに、その後もショート&内野手は兼任していたね」

 

学生時代はショートと内野をしていたから、守備面は得意なほうだと思うよ。体は大きいけどしっかりと動けます(笑)


4歳で野球チームに入団。11歳まではショート専門


 4月は4勝を挙げて防御率1点台(1.95)といいスタートを切れたよ。5月に入っての登板は5月5日の広島戦[甲子園]。悪くない投球内容だった(6回4失点)。その後3.4月の月間MVPに選ばれたという知らせがきた。本当にうれしいね!

 さて、前回のコラムでの質問コーナーでグラブについて答えたよね。そのとき昔はショートをしていたこともありグラブが小さいと答えたんだけど、実際はメジャーにはピッチャーとしてスカウトされた。学生時代にショートを含めた内野手と、ピッチャーをしていたんだ。つまり専門ポジションはなかったんだよ。

 ベイビーのころ、父親が無造作に野球のボールやフットボールのボールを僕の顔にぶつけていたんだ。もちろん優しくだよ(笑)。それが野球との初めての触れ合いだね。その後キャッチボールを始めたのが4歳のときだったと思う。その4歳のときに野球チームに入った。「リトル・ラスコス」というチーム名で、今でもその当時のユニフォームを大切に持っているんだ。

 このリトル・ラスコスはTボールベースボールのチーム。たぶん読者の皆さんは、そんな小さいときから投げたり打ったりしていたの? と思うかもしれないんだけど、Tボールベースボールではピッチャーは投げないんだ。ティー打撃練習をするときに、先端がゴムになっていて、その上にボールを置きネットに向かって打つ練習があるだろ? この打撃練習器具はバッティングティーというんだけど、それをホームベースの上に置くんだ。

 そこに大人がボールを置き、子どもの打者が打って試合が始まる。それがTボールベースボール。だから子どもたちはピッチャーをやらなくていいんだ。アメリカの子どもたちは、まずこのような形から野球の試合になじんでいくんだよね。そのラスコスで最初に守ったのがショートだったと思うよ。僕は当時はそこまで大きくなくて、やや大きい子どもだったからね(笑)。

 そのあとフットボールチームにも所属しながら、野球を続け10〜11歳ころもショートだった。当時のコーチたちも体がある程度出来上がるまでピッチャーは本格的にやらせなかったね。僕の父親も野球選手だったから(プロは断念したんだ)、僕とキャッチボールするときも真っすぐしか投げさせなかったんだ。それでピッチャーをやり始めたのが、11歳くらい。このときに初めて教わった変化球がチェンジアップさ。真っすぐと同じ腕の振りで投げられる球種だからね。アメリカの場合はまず、この球種から教えるのが基本だね。

 そうは言ってもピッチャーになったらもっと・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング