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2017阪神タイガース特集

2017年は、あの年の優勝に似ている? 1964年編 外国人エースとパからの移籍外野手でVロード!

 

2リーグ制後阪神の優勝は5回。過去の優勝イヤーと2017年の共通点を探してみると、これが、けっこう多い。今回は、そのうち3つの優勝をピックアップし、今年の戦いと比較してみる。まずは、2度目の優勝となる、昭和39年、西暦1964年だ。1985年編2003年編
文/西田二郎(元産経新聞)

リーグ優勝のセレモニー。左から村山、藤本監督、バッキー


小山にあおられた山内


 阪神が2リーグに分かれたあと2度目となる1964(昭和39)年の優勝は、エースJ.バッキーと四番・山内一弘の活躍が光った。R.メッセンジャーと移籍の糸井嘉男が前半戦好調のチームを支える今年、似ているところに夢が持てる。

 63年12月、阪神はトレードで小山正明と交換で大毎(現ロッテ)の山内を獲得した。投手陣に比べ打線は非力、特に長打力に欠けた。村山実と並ぶ2本柱の一人を出して取ったのはそれを補うためだった。山内はその年打率は.257だったが本塁打31本、94打点だった。

 目覚ましい活躍となるとバッキーだった。29勝を記録。2年前の夏、テストを受けて入団。「球が速いから取っておけ」と当時監督の藤本定義。前年8勝したが、3年目の64年2月16日、甲子園球場で行った有料の紅白試合。紅が主力で白が控え。バッキーは白の3番目に登板した。そんな投手が29勝もしたのは、エースの村山の言では「入団した翌年から私の後をついて走っていた。下半身が強化され、制球力につながった」。

29勝9敗、防御率1.89で最多勝、最優秀防御率に輝いたバッキー。外国人投手初の沢村賞にも輝いた


 64年は東京五輪に合わせ、日程が早まり阪神は3月21日甲子園で開幕。83カードがダブルヘッダー。大洋(現DeNA)と激しく優勝を争った阪神が最後の決着をつけることになった9月20日川崎球場、26日甲子園球場決戦もダブルヘッダーだった。

 20日、川崎球場のベンチにここまで21勝、バッキーと両輪で投手陣を支えてきた村山の姿がなかった。家族に不幸がありベンチから外れた。天王山さ中の非常事態。藤本監督が打った手はバッキーの連投。

 バッキーはそれに応え先発、リリーフで大洋を1点に抑え勝利投手。26日も第1戦に投げ完封。2戦は本間勝が先発。2点を先取されるも8回、山内のタイムリーで同点。なお二死満塁で珍事。投手が暴投。これがバックネット下のコンクリートに当たり戻ってきて本塁を狙った走者はアウトを覚悟したが投手のタッチが緩慢でセーフ。これが決勝点になり阪神は連勝。余勢をかって残り3試合も勝ち劇的優勝を決めた。

 同点打を飛ばした山内がこの年31本塁打を記録したのは先に書いた。前年はキャリア最高の33本。31本の翌65年は20本。以下18本、18本。阪神在籍はこの4年で・・・

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