今年のペナントでセ・リーグ3位につける横浜DeNAベイスターズ。キャプテンであり主砲の筒香嘉智と、遊撃のレギュラーとして全試合スタメン出場する倉本寿彦は、名門・横浜高で同じ甲子園を経験した。一つ違いの先輩と後輩が振り返る9年前の夏の光──。 取材・構成=滝川和臣、写真=阿部卓功(インタビュー)、BBM ※記録は7月23日現在 強豪校を立て続けに撃破
1年から名門の四番に座った“怪物”筒香の甲子園出場は、2年春夏の2回(3年夏は神奈川大会の準々決勝で敗戦)。倉本ら才能豊かな先輩たちと聖地に立った。 ──横浜高が4強に進出した2008年夏、甲子園の記憶は残っていますか。
倉本 よく覚えています。「勝つんだ!」という強い想いでプレーしていましたし、「勝てる」と思って戦っていました。あの年、センバツでは初戦敗退(2回戦、対北大津高)。それが夏は、1回戦の浦和学院高に始まり、広陵高、仙台育英高、聖光学院高と強豪ばかりの中で、勝ち進むことができたのは良かったかなと。
筒香 先輩たちにとって最後の大会だったので必死でやるだけでした。僕の一つ上の学年は、倉本さんはじめエースの土屋さん(
土屋健二、元
日本ハムほか)などすごい選手が多かったんです。僕らが3年になったときは、先輩たちをお手本にしていたし、あらためて先輩たちのすごさが分かりました。
──倉本選手は当時、一番・遊撃手でした。
筒香 はい。めちゃめちゃ打っていました。
倉本 そんなに打ってない(笑)。
筒香 プレッシャーばかりかけられましたから。(四番の自分の)前で出塁して「俺をかえせよ」というプレッシャーですね(笑)。
倉本 そんなことないだろ。ゴウ(筒香)は初対面のときからインパクトがすごかった。入学当時から飛距離はハンパなかったし、すぐに試合に出るようになった。体も大きかったけど、パワーというよりバランス。ボールの飛ばし方を分かっている感じでした。
筒香 いや、それほど違いはなかったです。高校の1年間というのは大きくて、入学したばかりの1年生と2年生の差は大きいですから。でも、横高(横浜高)は上下関係が厳しいというよりは、野球に関しての厳しさがありました。
倉本 あの夏はとにかく・・・
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