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甲子園 怪物特集

甲子園怪物伝説の謎 “怪物”になれなかった清原和博

 

身体的、成績的には清原こそ“怪物”にふさわしいのだが……


意外なルーツ


 文字どおりなら、怪しい物……。人間ですらない「怪物」の形容を10代の高校生につけるのは乱暴な話だが、すっかり定着し、1998年、甲子園春夏連覇を果たした“平成の怪物”松坂大輔(横浜高、現ソフトバンク)以降は、乱発のきらいもある。

 実はこれ、シャレから始まったことをご存じだろうか。

 1965年から連載がスタートし、68年にはアニメにもなった漫画『怪物くん』(藤子不二雄(A)作)から73年春夏連続で甲子園に出場した作新学院高のエース、江川卓(のち巨人)が名づけられたのが始まりだ。最大の理由は、漫画の主人公・怪物太郎と同じ、大きな耳だ。最初は「沢村栄治2世」などとも言われたが、初出場の甲子園を特集した『週刊ベースボール』を見ると、すでに“くん”すら取れて、ほぼ“怪物”となっている。

 江川だからこそ、“怪物”の異名が広がったのも事実だ。いまのようにネットで映像が氾濫している時代ではない。栃木県の高校にすさまじい快速球を武器にした、とんでもない男がいる──都市伝説のように広がった話は高校野球ファンを身悶えさせるほど興奮させた。それはそうだ。1年夏の栃木大会準々決勝の烏山高戦で完全試合、2年夏の県大会は完全試合を含む3試合連続ノーヒットノーラン。ただ、それでもあと一歩で甲子園には届かなかった。

 なかなか全国舞台に姿を現さぬ江川に幻想がどんどん膨らむ。ようやく姿を現したのが3年のセンバツだ。初戦の北陽高戦は満員の大観衆が詰めかける。実際にとんでもなく速い。1球1球に歓声がわき、北陽のバッターはプレーボールから22球をバットに当てることすらできなかった。23球目をファウルしたとき、大きなどよめきが起こったほどだ。映画「シン・ゴジラ」ではないが(あるいは謎の魚)、野球ファンは皆、江川のさらなる進化を予感した。

 しかしながら、この大会は準決勝、夏は2回戦で敗退と甲子園の優勝はならず。夏のラストゲーム、雨中の銚子商高戦は、0対0の延長12回一死満塁フルカウントからの押し出しだった。のちの大学、プロ時代も含め、最後まで未完のまま。それもまた、謎の多い“怪物”らしいと言えるのかもしれない。

リアルモンスター、江川。左腕を抱え込むのが全力投球の証拠。だらり垂らすときは制球重視だった


清原は怪物じゃない


 江川以前の怪物も探してみよう。中等学校野球時代なら、1924年夏から26年まで5季連続甲子園出場で、当時130メートルあった甲子園球場の外野フェンスにライナー性の打球をワンバウンドで当てたという第一神港商の山下実(のち阪急ほか、のち「和製ベーブ・ルース」と呼ばれた)、39年夏の甲子園で全5試合完封、準決勝、決勝はノーヒットノーランだった海草中・嶋清一らの名前が挙がる。

 戦後は2人の「怪童」と1人の「大明神」が登場した。

 怪童第1号が高松一高の・・・

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