ライオンズのユニフォームを着て、17年目のシーズンだ。今年で35歳を迎える栗山巧。チームの歴史を背負いながら、視線は新たな地平を見据えている。 取材・構成=小林光男、写真=榎本郁也、BBM 「1」にまだ違和感が
1983年9月3日に、この世に生を受けた栗山巧だが、同年は西武ライオンズにとってはエポックメーキングなシーズンだった。埼玉に移転して5年目。前年、広岡達朗新監督の下、日本シリーズでは中日を下して初めて日本一に輝いていた。しかし、球団の野望は尽きない。球界の新盟主となるには、倒さなければならない相手がいた。 それが巨人だ。83年、リーグ連覇を果たした西武は日本シリーズで藤田元司監督率いる巨人と激突した。逆転に次ぐ逆転の、球史に残る日本シリーズ。最終第7戦も巨人に試合を有利に進められたが、西武は7回、テリーの走者一掃のタイムリーで逆転、勝負を決めた。 もちろん、83年に日本一になったことは知っていますよ。(初めて球界の盟主と言われた巨人を下した年に生まれたことは)こじつけのような感じもしますけど(笑)、悪くないですね。球団が78年秋に埼玉に移転して、今年で40周年。僕の人生より、長いわけですから。節目のシーズンだという思いはもちろんあります。
88年、98年、2008年と10年周期で優勝して、今年はそのシーズンに当たることも言われていますけど、そういえば前回の08年もユニフォームに30周年のワッペンを着けていたな、と。まあ、選手にとっては毎年、優勝したいですし、その思いは変わりません。
僕にとって西武ライオンズという球団は・・・
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