1975年の初優勝時は投打のバランスがとれていたが、その後、山本浩二、衣笠祥雄が軸の打のチームとなり、80年代半ばからは長く「投手王国」と言われる時代が続いた。ここではカープ投手王国の一角を担った2人のレジェンドに当時を振り返っていただく。(選手写真の名前横はカープ在籍年) 構成=井口英規 写真=高塩隆(インタビュー)、BBM 現役時代の2人
サロメチールを塗って登板した池谷
──川口さんは道路の渋滞で少し遅れるそうです。
大野 いかんな、後輩が遅れちゃ(笑)。じゃあ、始めておきましょうか。今回のテーマは何ですか。
──「投手王国」と呼ばれた時代についてお聞きしようと。大野さんは1977年入団ですが、当時の投手陣は。
大野 初優勝時のエース、外木場(
外木場義郎)さんはもう肩を痛められていましたね。池谷(
池谷公二郎)さん、福士(
福士敬章)さん、
高橋里志さん。若手では、年下ですが、北別府(
北別府学)も出てきた時期ですね。
──池谷さんは、豪快なフォームが特徴でしたね。
大野 僕を右にしたようなフォームでした。ふだんは優しい方でしたけど、マウンドに上がったらバッターに向かっていく姿勢がすごかった。試合前、気合を入れるために目の周りにサロメチールを塗られたのは驚いたけど(笑)。
──
江夏豊さんは、
古葉竹識監督に頼まれて、同じ左腕の大野さんの教育係になったそうですね。
大野 いい出会いでした。僕がいまあるのは江夏さんとの出会いがあってこそだと思います。ずっとあこがれの方で、しかも、直接いろいろと教えていただいたわけですからね。
──具体的には、どんなアドバイスを。
大野 まずフォームを変えろと言われました。僕は右手を空に突き上げて、顔も完全に上を向くようなフォームだったんですよ。これを・・・
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