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「エース」を考える

1981年の江川卓はエースではなかったのか。

 

エースという言葉には、語源も定義もいろいろな説があるが、一般的に先発投手の軸となる選手をさす。今は「右の」「左の」「抑えの」とも言われ、乱立気味だが、その前に「真の」をつけたらどうだろう。逆に「不在の時代」となってしまうかもしれない。不透明さがありながらも、開幕が確実に近づく今、長い球史を「エース」をキーワードに振り返ってみる。ここでは「1981年の江川卓」についてだ。


なぜ沢村賞が江川ではなかったのか


 日本ハム江夏豊は、それを聞いたとき「許せない」と言った。

 1981年、当時はセ・リーグのみが対象だったが、沢村賞に選ばれたのは、20勝6敗で最多勝、2.29で最優秀防御率、さらに221奪三振、20完投、7完封とすべてリーグトップでリーグ優勝に導き、MVPにも輝いた巨人・江川卓ではなく、同じ巨人で18勝の西本聖だった。

 47年、読売新聞社が制定した賞で、伝説の大投手・沢村栄治を記念し、セの投手に贈られるものだった(当初は1リーグ)。当時の選考は読売新聞から東京運動記者クラブ部長会に委託されていた。今回の主旨は選考の是非ではないが、このような横紙破りの選考が起こってしまうほど、報道陣にアンチ江川が多かったことは、まず頭に置いてほしい。

 79年、あの「江川事件」で入団。日本中を敵に回した。入団3年目で、世間の怒りはかなり薄れていたが、マスコミ的には「たたいてもいい」「たたいたほうが新聞(雑誌)が売れる」存在だったことは確かだ。

 ただし、当時もその後も、この件に対する江川の恨み節は一切ない。むしろ“選ばれてしまった”ことを悩む後輩・西本へ・・・

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