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1980〜90年代巨人エース論

斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己 “三本柱”の誰がエースだったのか 斎藤雅樹(元巨人)の視点「僕はエースじゃなかった」

 

1980年代後半、江川卓西本聖のあと、巨人の先発陣の中心を担ったのが斎藤雅樹桑田真澄槙原寛己(※通算勝利数順)のいわゆる“三本柱”だった。初めて3人がそろって2ケタ勝利を挙げた89年以降、競い合うように勝利数を伸ばしていったが、果たして誰が“エース”だったのか。当事者でもある斎藤氏と、彼らをリードした村田真一氏に聞いた。
→村田真一(元巨人)の視点「三本柱はそれぞれがエース」
取材・構成=松井進作、坂本匠、写真=BBM


誰かが必ず勝つ安心感


 マキさん(槙原)と桑田の2人がどう感じていたかは分かりませんが、あのときの三本柱って本当にその言葉どおりだなと思うんです。3人それぞれが「柱」になっていたし、仮に自分がダメだったときでも必ず2人は勝ってくれる安心感があった。だから大きな連敗もなかったですし「自分がやらなきゃ、止めなくちゃ」という、変に肩に力が入ることもなかった。その精神面の安定が結果的に自分の持っている力を最大限に発揮させてくれ、勝利につながってくれたことも多々ありましたから。そういう意味では、今回のインタビューの肝でもある「巨人の三本柱の誰がエースだったのか?」という問いにはエースは僕ではなかったし、もしかしたらマキさんでも、桑田でもない。やっぱり3人でエースだったのかなと。それが僕の「答え」です。

 1人欠けても絶対ダメ、本当に3人がいたからこそ成り立っていた関係性だったので、エースは○○だというくくりでは語れない部分が僕の中ではあります。もちろん、成績の上ではマキさんと桑田が勝ったから自分もというのはありましたけど、それも2人に勝ちたいというよりは、あくまでもチームの勝利のためですからね。それに僕は入団してから常にマキさんの背中を追ってやってきましたし、桑田にしても・・・

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