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「55年間支えてくれたバットの木に感謝」

ミズノのバット削り名人・久保田五十一氏が引退

 

4月で71歳になるとは思えないほど、若々しくエネルギーに満ちあふれている。バット削りの名人、久保田五十一氏が引退することを表明した。これまで何10万本ものプロ野球選手のバットを削ってきた名人が、55年間の中で思い出深い出来事を振り返る。

取材・構成=池田晋

▲久保田氏の後継者となる名和民夫バットクラフトマン(左)と渡邉孝博バットクラフトマン(右)。「木、道具を大事にするよう何度も指導されました」(名和)「名人の培ったものを土台として、ミズノの技術を名和とともにチームとして引き継いでいきます」(渡邉)



 1月28日、岐阜県養老町のミズノテクニクスで、プロバットマイスターの久保田五十一氏がバット作りから引退すること報告した。

「140年におよぶ日本の野球の歴史の中で、55年前に先輩から預かった技術でこの仕事を続けてこられた。幸いにも、この技術を優秀な2人の後輩にバトンタッチすることができました。あらためて、55年を支えてくれた、たくさんのバットの木、工場関係者、皆さまにお礼を申し上げたいと思います。どうもありがとうございました」

 4月に71歳となるが、体力が残っているうちに自分の自由な時間を確保して、10年前からはまっているアユ釣りに費やす予定だという。「釣りは天候に左右されるので、一番コンディションのいい日に、工場へ出勤することなく、ふらっと釣りに出掛けたい」

 55年間のキャリアの中で、印象に残り、大きな転機となったのが谷沢健一氏(中日)、落合博満氏(ロッテほか)との出会いだった。2人のバットを製作する中で、その選手に合わせたバット作りの重要さ、難しさを学んだという(詳細は下記参照)。また、プロ入り前から引退まで20年間担当した松井秀喜氏(元巨人ほか)からは、ビデオメッセージが届けられた。

落合博満氏とのエピソード

▲久保田氏「落合博満さんと出会い、商品作りと道具作りの違いを勉強させてもらいました。首位打者のバットを削ることが一つのステータスになると思っていたので、落合さん、バースさんが2年連続でパ・セの三冠王になられたときは、うるっときましたね」



谷沢健一氏とのエピソード

▲久保田氏「谷沢さんに自分が削ったバットを使ってもらえず、送り返してくれたことで、仕事の厳しさが身につきました。バットの形状だけでなく、全体のバランスが重要だと気づきました。おかげで、どうにかお客さんに満足していただけるバットを作れるようになったと思います」



松井秀喜氏からのメッセージ
松井秀喜氏「55年ということだけでも何か縁を感じます。僕が高校を卒業する前に初めてお会いしたときから引退するまで20年間、僕の要望にいつも100%の答えを出してくれました。本当に長い間お疲れ様でした」

PROFILE

くぼた・いそかず●1943年4月6日生まれ。岐阜県養老郡出身。1959年、ミズノテクニクスの隣にある高田中を卒業してミズノ入社。入社からバット部門に配属され、65年ごろからプロ担当に。年間約200人のプロ野球選手のバットを担当したことも。2003年11月、厚生労働省認定「現代の名工」に認定。2005年4月、黄綬褒章受章。
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