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教師から女子プロ野球界に転身した川保監督。現役引退後、今年から監督に就任



教師から女子プロ野球選手へ


 野球といえば、これまでの日本では男子だけに許されたスポーツだった。小学生のとき、少年野球チームに入っていた数少ない女の子たちは、中学生になると野球をする場を失った。ソフトボールに夢を託したり、他のスポーツや他の道を探すしかなかったのだ。野球を続けることができない現実。どうしても野球をしたいならば、自分自身で道を作っていくしかなかった。

 日本の女子野球界において、野球をする地盤を作ってきたうちの一人が、川保麻弥(30歳)である。2010年女子プロ野球リーグ発足時から選手として活躍し、昨年引退。今年からアストライア(関東)の監督に就任した。

川保監督は東日本に拠点を置くアストライアを率いている



「本当は30歳まで、あと1年現役を続けたかったんです。でも去年の契約更改のとき、リーグから指導者育成に力を貸してほしいと言われて……。ソフトボールやバレーは、女子選手から監督という方がいらっしゃいますけど、野球にもそういう存在が必要だと考えて、引退を決意しました。去年まで一緒にプレーしてたわけですから、最初は選手たちもやりづらかったと思いますし、自分自身でも戸惑いがありました。人を育てることは難しいですけど、今は現役時代とは違うやりがいを感じてます」

 選手から監督へ。川保の歩んできた道は、そのまま日本の女子野球の発展と同じ道のりである。小学生から野球を始めた川保は、当時全国に5校しか存在しなかった、女子硬式野球部の強豪校、埼玉栄高校に進学して野球を続けた。しかし、大学進学を考えたとき、その先に道がないことを思い知らされる。

「大学にも、社会人にも、クラブチームもなかったんです。だから、自分たちでクラブチームを立ち上げました。そこに野球をやりたかった子たちが集まってきて、人数が増えるとまた新たなチームを作って、というふうにして、チームを増やしていったんです」

練習は平日午前が中心。限られた時間を上手く使う



 現在、関東のクラブチームだけで30を超えている。野球がしたい!という想いが、女子野球の道を作ったのだ。しかし、クラブチームはあくまでアマチュアである。川保は野球を続けながら、一方で教員免許を取得し、体育の先生として中学生たちを指導していた。教師になって3年目、川保の人生を変える大きなニュースが飛び込んで来た。女子プロ野球リーグが発足するというのだ。

「当時は部活で顧問をさせてもらったり、担任も持たせてもらってました。トライアウトを受けるなら、学期の途中で辞めることになるので、校長や学年主任に相談しました。生徒からは、『先生がプロ野球選手になってくれたらうれしい』って言ってもらって、背中を押されましたね。もしダメでも、挑戦する姿勢を生徒に見せられるし、受かったら受かったで、あきらめないって大事なんだと思ってもらえるんじゃないかって。結果的に合格できて、3学期の途中という中途半端な時期に辞めることになってしまったんですけど、教員だった2年半、本当に貴重な経験をさせてもらいました」

 川保のように、野球を続けたかった女子たちが全国から集まった。その中でトライアウトに合格した30名が女子プロ野球選手となり、2010年からリーグが発足したのである。

第2回「甲子園を目指せない少女たちへ、プロという夢の始まり 」はこちらです。
PROFILE
赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載中の「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍中。
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