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追悼・V9巨人の“左腕エース” 高橋一三氏

 

スクリューボールで20勝を2度マーク


V9巨人では左のエースとして活躍した



 巨人の、いわゆる“V9”(65〜73年)時代に左のエースとして、2度の20勝をマークするなど活躍した高橋一三氏が、7月14日、多臓器不全で死去した。69歳だった。

 65年に広島・北川工高から巨人に入団すると、荒れ球ながら、左腕からの力のあるストレートで2年目に6勝をマーク。その後伸び悩んだが、5年目の69年、V5の年に一気に22勝(5敗)、最多勝に輝いた。19完投はリーグトップ。このころから、右打者の外角に逃げながら落ちるスクリューボールをマスター、コンスタントに2ケタ勝利をマークする投手になった。

 制球に苦しみ、名前をもじって「ワンスリー投手」などとヤユされたが、ワンスリー投手だったのはV9末期で、最多与四球投手となったのは、入団8年目、V8の72年が初めてだった(113)。カウント0-2や1-2から簡単に勝負させてくれない巨人野球という条件を考えると、ワンスリー投手という表現はいささか酷だ。高橋氏の名誉のために付け加えておく。

 73年、V9の年には23勝、優勝の原動力となった。この年は、阪神最終戦で勝った方が優勝というドラマチックなシーズンだったが、先発した高橋氏は9対0の完封勝利。歴史に残る胴上げ投手となった。

“右のエース”堀内氏との絆


 高橋氏は、不思議に優勝決定試合に投げ勝利投手になるという巡り合わせを持っていて、公式戦で69、71、72、73年、日本シリーズで69〜72年、計8度のV投手になっている。1学年下の堀内恒夫投手(前巨人監督、現参議院議員)も強運の持ち主と言われたが、高橋氏もそれに負けない強い星のもとに生まれていた。V9は、投手の面から見ればこういう左右のエースが作り上げた偉業だった。

 その堀内氏は「一三さんとはよく一緒に門限を破ったけど、いつも怒られるのはオレばかり。でも2人は本当にウマが合った」と語るが、左右の両エースが、これほど仲がよいというのも珍しい。これもV9達成の大きなポイントだった。王貞治ソフトバンク会長は「右打者をスクリューで攻める、いまの左投手の原型を作った投手。歴史の中にその名をとどめるだろう」と称えたが、76年に日本ハムに移ってからも引退の83年まで8シーズンで63勝をマークしたのも称えられるべきだろう。

 引退後は日本ハム、巨人で投手コーチ、二軍監督などを歴任。09年4月から山梨学院大監督を務めていた。通算成績は595試合、167勝132敗12セーブ、1997奪三振、防御率3.18。最多勝1回。最多奪三振1回。沢村賞2回。

76年、日本ハムに移籍。パ・リーグでも実力を存分に発揮した

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