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ヤクルト・山中浩史 快進撃を支えた努力

 

6月12日にプロ初勝利を挙げると、そこから一度も負けることなく、8月11日には初完封を成し遂げた。登板機会の連勝は18日のDeNA戦で止まり、その後「軽度の肉離れ」で登録抹消に……。しかし、リーグ優勝、CSの勝ち抜きを目指すヤクルトにとっては必要不可欠な存在。一刻も早い復帰が待たれる山中浩史の人物像に迫る。
文=町田利衣(スポーツニッポン)、写真=桜井ひとし、BBM

訪れた転機


 上位争いを続けるヤクルトに、彗星のごとく現れた投手がいる。山中浩史。球団では58年に金田正一が成し遂げた開幕から9戦9勝に次ぐ6戦6勝をマークした。

 手にする白星が着々と増えても「野手の皆さんが打ってくれて、守ってくれたおかげ。一つひとつアウトを積み重ねた結果です」と謙虚な姿勢を崩さない。プロ3年目の29歳は、突如スポットライトを浴びても自分を見失うことはない。

「努力と継続。この二つの言葉を取ったら、今の自分はありません」

 熊本県天草市の新和町(旧天草郡新和町)出身。自然豊かなこの町で、山を駆け回り、夏は自宅近くの海で遊ぶ少年だった。小学校時代にソフトボールを始めた影響から、中学で野球に転向したときにはサイドスローだった。必由館高2年時に「腕の位置を低くしたら、打者が打ちにくいかな」と下手投げに。最初の相手は強豪の済々黌だったが「たまたま抑えられたので自信になったんです」と珍しいサブマリンが誕生した。3年夏に創部初の甲子園出場を果たすと、その後は九州東海大、Honda熊本を経て、27歳にしてドラフト6位でソフトバンクに入団した。

 プロ1年目。キャンプ、オープン戦とアピールを続け開幕ローテーションをつかみ取ったが、厳しい現実が待っていた。プロ初登板は4回途中4失点で黒星を喫し、即二軍行き。2度目のチャンスも生かせず、秋山幸二監督から「気持ちが弱い」と切り捨てられた。そしてプロ2年目の7月、新垣渚とともに川島慶三日高亮との交換トレードでヤクルトに移籍した。しかし移籍初年の昨年はいずれも救援で9試合に登板、防御率6.75に終わった。

 転機は秋にあった。愛媛県松山市で行われた秋季キャンプ。現役時代はサイドスローだった高津臣吾投手コーチのアドバイスを受け、フォームを改造。手首の角度を時計の針に例え「6時から12時の方向に」と立てるようにした。「スピードも上がるし・・・

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