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追悼・“奇跡のリリーバー” 盛田幸妃

 

脳腫瘍手術を乗り越えてカムバック賞受賞。鋭いシュートで攻める熱いマウンドだった。

99年10月7日のロッテ戦[藤井寺]で脳腫瘍からの一軍復帰登板を果たした



 大洋・横浜(現DeNA)、近鉄で通算47勝29セーブをマークした盛田幸妃氏が、10月16日、横浜市の自宅で死去した。45歳だった。その詳細は明らかにされていないが、ここ数年はガンとの闘病生活が続いていたという。

 盛田氏は81年、函館有斗高(現函館大有斗高)からドラフト1位で大洋入団。3年目の91年に初勝利。翌92年には、先発、リリーフで52試合に登板、14勝2セーブをマークする大活躍。規定投球回に達し、防御率2.05で最優秀防御率のタイトルを獲得した。

 横浜となった93年からは、リリーフに徹し、94年には8勝16セーブ、24SP。96年には先発に転じ、96、97年と開幕投手を務めた。

 98年に近鉄に移籍。この年に脳腫瘍であることが判明、手術を受けた。この危機を乗り越え、翌年には一軍復帰を果たし、01年には34試合に登板、リリーフで2勝をマーク。カムバック賞に輝いた。この年のヤクルトとの日本シリーズでは1試合に登板。“奇跡のリリーバー”と呼ばれた。

 02年限りで引退。引退後も2度も腫瘍摘出手術を受けるなど苦難の人生が続いた。自分の運命を「どうしてこんなことに」と呪ったこともあったそうだが、講演会では、自分の体験を率直に語って、同じ病気に苦しむ人を励ました。

 タイトルを獲得した92年は、“大魔神”佐々木主浩投手とのダブルストッパーで話題を集めたが、佐々木氏は「シュートで強気にグイグイ攻め、中日の落合さん(博満、現中日GM)に死球をぶつけても『よけろ!』と言うほど。リリーフ投手の重要性に目を向けさせたのは彼の活躍があったからだと思う」と思い出を述べた。近鉄時代の監督だった梨田昌孝氏(来季、楽天監督に就任)は「私の二軍監督時代に発症。病気の影響で足がしびれるなど、体がいうことをきかず、キャンプで悔しそうにしていたのを覚えている。そこから見事に復活した。熱い気持ちで打者に向かっていく投手だった」と語った。

 通算成績は345試合、47勝34敗29セーブ、434奪三振、防御率4.65。

92年、先発、リリーフで52試合に登板し、防御率2.05でタイトルを獲得した

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