自信は確信に変わった。「リリーフのほうが輝ける」とクローザー転向を決意し挑んだ2015年は、未知の世界だったにもかかわらず、十二分な成績を残してシーズンを全う。かねてより伝えられてきた“適性”を、自らの右腕で証明してみせた。幼いころにあこがれを抱いていた高橋由伸新監督を迎えた16年も、責任あるポジションを直訴。覚悟を持って、チームを勝利へ導くつもりだ。 取材・文=坂本匠、写真=高塩隆、BBM 高橋由伸新監督との会食の席上、新たなシーズンについて問われると、即答したという。
「抑えをやらせてください」 2011年のプロ入りから2年連続で2ケタ勝利(11年=11勝11敗、12年=10勝10敗)を挙げるなど、
澤村拓一は、確かに先発に強いこだわりを持っていた。この間、貯金を作れなかったことから、不当に低い評価をされることもあったが、
巨人で新人年からの連続2ケタ勝利は、V9時代のエース・
堀内恒夫(現参議院議員)氏以来の快挙である。何より2年で21もの勝ち星を積み上げた事実に注目すべきで、スターターの素質は十分。向こう10年はローテーションを張れる存在であった。
「3年目までは、確かに僕も先発に強いこだわりがありました。でも、4年目から考えに変化が生まれてきたんです」 きっかけは3年目(13年)に、リリーフを経験したことにある。この年、チーム事情から中継ぎで14試合(先発20試合)に起用されており、トータルでわずか1失点と、これまでとは異なる好感触を得ていた。14年は右肩故障でシーズン途中の復帰となり、先発に戻ったものの「リリーフのほうが輝けるんじゃないか、と思うようになりました」。14年秋季練習の際に
原辰徳監督(現特別顧問)からリリーフ転向を打診されたことは知られているが、その打診を受ける以前から「抑えに挑戦したい」と気持ちは固まっていたという。
そして冒頭のシーン。15年は新たなポジションで大役を務め上げていたものの、高橋新監督は新体制をスタートさせるにあたり、投手陣の重要な役割を担う澤村の意志を、再確認したかったようだ。
「監督は、『どっちがいいんだ?』と聞いてくださいました。先発への未練があるのかどうか、確かめたかったのかもしれません。僕が1秒と間を置かずに『抑えをやらせてください』と答えると、『そうだよな』と(笑顔)。最終的に決めるのは監督です。チームが優勝するためなら、ポジションがどこになろうと貢献しなければいけませんが、それでも僕は、このポジションで野球人生を全うしていきたいと思っています」 “鬼”への変身、ブルペンの大将
対応力には目を見張るものがある。ただでさえチームの勝利を託される、重圧のかかるポジションだ。15年は調整法もシーズンの過ごし方も、先発仕様からの変更を求められる転向1年目だったが、1度も戦線を離れることなく役割を完遂した。
「長かった、というのが真っ先に頭に浮かびます。先発は週1で投げても25試合から30試合。それに比べて週6で試合があって、週6で投げることもあり得ましたからね。体がキツイなと思うことは、正直、何度もありました。ただ、抑えをやることに関して戸惑いや、迷いは一切ありませんでした。『ココで勝負する』と決めているわけですから、どんな状況でもやるんだ、と」 キャンプ中に、原監督と交わした約束はマウンドで「鬼になる」だった・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン