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広島の名スカウト・村上孝雄氏の残した功績

 

カープひと筋、「代打の切り札」にして「伝説のスカウト」


13年、前田智徳氏の引退本で取材に応じていただいた際の村上氏。前田氏は村上氏を「オヤジ」と呼んでいた[写真=前田泰子]



 村上孝雄氏(旧姓・宮川)が1月8日、心不全のため79歳で死去した。選手としてスカウトとして、広島カープの礎を築いた功労者で、現役時代は「代打の切り札」と言われ、一時は世界記録でもあった代打通算187安打の日本記録も持っている。

 1936年1月31日生まれ。福岡県出身で、豊国学園高から門司鉄道局を経て60年に広島入りした。卓越した打撃技術を買われ、背番号は新人ながら「2」。しかし、当時の広島は左の外野手が多く、初練習で「自分よりでかい選手ばかり。やめて帰ろうと思った」(宮川氏。身長は172センチ)という。それでも、ここで持ち前の負けん気がフツフツ。翌日からは、1日1000スイングをノルマにバットを振りまくり、のち合気道や木刀振りで集中力を磨いた。

 抜群の勝負強さで、早い時期から「代打屋」として定着したが、それがレギュラーから遠ざけた面もある。65年途中から就任にした長谷川良平監督には「ウチはチャンスに点が入らん。ここ一番の切り札として使いたい」と言われたこともある。実働15年で889試合に出場し、うち776試合は代打。代打で6打席連続安打もあった72年には、全打席代打ながら打率.404をマークしている。

代打については「並みの神経じゃ務まりません」と語っていた



 死球王としても知られ、66、67年と2年連続でリーグ最多死球の8、ともに打数が100に満たなかったことを考えると、すさまじい数字である。ホームベースぎりぎりに構え、ボールから逃げなかったこともあるが、わざとらしくなく、かつ痛みが少ない死球の当たり方も練習もしていたという。ただ、徐々に審判から「わざとでは」と警戒され、72年6月20日の阪神戦では、カウント2-2から死球を受けながら三振を宣告されたこともあった。74年限りで引退。通算968打数267安打、11本塁打、149打点、92四球、51死球、143三振、打率.276で、シーズン代打打率の3割超えは6回、リーグ代打最高打率3回を数える。

 その後は広島の九州地区担当のスカウトに。1年目の75年に獲得したのが鹿児島の北別府学(宮崎・都城農高)。のち通算213勝を挙げる大投手だ。以後も優れた眼力と情熱的かつ粘り強いスカウティングで“炎のストッパー”、津田恒美、現監督の緒方孝市らを見出した。

 生前、村上氏自身が一番印象深い選手として挙げていたのが、前田智徳だ。広島は4位指名だったが、前田の意中の球団だったダイエーは3位指名と言いながら指名なし。村上氏があいさつに訪れた際、ふてくされていた前田に「俺はお前をちゃんと指名したんだから間違いなかろうが」と一喝したという。

 ほかの選手に対してもそうなのだが、プロ入り後もわが子のように気をかけ、オフには家に招き、フグをご馳走するのが恒例行事だった。15年も車椅子でキャンプ地やマツダスタジアムを訪れ、緒方監督を激励。最後までカープ愛を貫き通した。
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