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白球ストーリー〜2016年への鼓動〜
密着 DeNA・後藤武敏の決意「僕らにとっても松坂世代は特別なもの」

 

手袋を締め直して、ヘルメットを取ってスイング2回、ポケットを触わりながら、とんとんとバットを叩きながらボックスイン。DeNAでも一、二を争うほどファンの声援を浴びるベテランは、残りの野球人生を代打一本でやっていくことを決意した。
取材・構成=滝川和臣、写真=BBM

打席に入るまでの壮大なルーティンの旅


「僕はガンガンいくタイプ。いいボールは初球から振っていく」。このフルスイングが後藤の代名詞だ



 代打の切り札・後藤武敏のルーティンは、朝7時半に始まる。

「行ってきまーす」

「行ってらっしゃい」

 小学1年生の息子を玄関先で見送ると、バッターボックスに立つまでの儀式の幕が開ける。戦いはすでに始まっているのだ。しばらくリラックスして自宅で過ごした後、全体練習の2時間前に横浜スタジアムに到着するように愛車で出発。車内では音楽を流しながら、打席での姿をイメージする。

 プロアスリートが生活におけるリズムに気を遣うのは広く知られている。決まった時間に起床して、決まったルートで試合会場に向かい、いつもと同じアップメニューを黙々とこなすことで、フィジカルとメンタルの両面でベストコンディションに持っていくよう心がける。プロ野球は140試合以上を戦う長丁場のペナントレースなだけに、なおさら“変えないこと”を重視する選手は多い。かつて、イチローが毎朝カレーを食べていたのは有名なエピソードだ。

「赤信号が多くてリズムよく走れない日は、途中のコンビニで時間をつぶしたりします。ゲン担ぎですよ。当然、栄養ドリンクを買うために立ち寄るコンビニもいつも同じです」

 そう語る後藤の1日はこうしたルーティンがいくつも積み重なって、試合に向かって進んでいく。試合終盤に用意される1打席だけのために。

 2012年に西武からトレードでDeNAにやってきたことが大きな転機になった。西武では一軍と二軍を行ったり来たりするシーズンが続いていた。極度の不振に陥り、実戦から遠ざかることも多かった。「あのまま野球人生が終わっていたかもしれなかった。移籍したことで1年目のような気持ちでプレーできた」と当時の中畑清監督がくれたチャンスに応えようとバットを振った。横浜高では松坂大輔(ソフトバンク)、小池正晃(DeNAコーチ)らと甲子園で春夏連覇を経験。高校時代を過ごした場所での再出発だった。

 DeNAでは一塁を守り、打つほうでは主軸を担ってきたが、昨季からはほぼ代打専任で起用され、打率.206、打点11、本塁打4、得点圏打率.208。層の薄い代打陣のなかで数字以上の存在感を放った。

「代打一本でやったのは15年が最初です。シーズンを通して感じたのが、代打でも自分を犠牲にしなければならないこと。終盤どうしても1点が欲しい場面。犠牲フライでもいいんですけど、守備位置を見てゴロを打って1点を狙うこともある。だから打率がすべてではない。そうした大切さを実感しました」

 後藤が打席に立つのは試合の終盤が多い。7回以降になるとどの球団も信頼の厚いセットアッパーとクローザーを配置しており、そうした手強い投手との対戦でコンスタントにヒットを打つのは容易ではない。結果のみを意識して、打率ばかりを追っていたら自分のバッティングを見失ってしまうだろう。後藤が「打率よりは、打点を意識したほうがチームのためになる」という自己犠牲の境地に立った理由もそこにある・・・

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