クイックで福本を封じた73年プレーオフの激闘
昭和48年(1973年)は昭和40年代はじめからずっと続いてきた阪急対南海の戦いのクライマックスであり、言いかえれば、沈み始めていた南海と黄金期を築き上げていた阪急の最後の激闘でもあった。この年、パ・リーグに前後期制がスタート。兼任監督野村率いる“雑草軍団”南海は、スター選手がそろう阪急圧倒的優位の下馬評を覆し前期を制したが、後期はまったく勝てず、阪急戦未勝利で5位に終わった(0勝12敗1分)。迎えたプレーオフは誰もが阪急圧勝を予想しながら、南海がまさかの優勝。「南海は後期わざと負けて、阪急を油断させた」という話が実しやかに流れ、“死んだふり優勝”と言われた。 ──南海でクイックがうまかったのは。
野村 佐藤道郎(1970年日大からドラフト1位入団。74年初代セーブ王)。こいつのときだけは俺も盗塁を殺せたんや。ほかのピッチャーは全然ダメ(笑)。
福本 ミチは入ったときから小さいフォームでピッと投げられましたしな。
野村 変わった投手だったな。球速は130キロくらい。でも、モーションを見てると、ものすごく速く見える。腕を突き出す豪快なフォームでね。だから、ふつうに投げても打者からしたら全部チェンジアップや(笑)。
福本 僕も最初は打てませんでした。
野村 上田(
上田利治。74年から阪急監督となり黄金時代築く)がコーチだった時代、一塁コーチに立っていたんだが、大声で言うんだ・・・
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