西武ライオンズ黄金時代の礎を築いた名将・廣岡達朗氏と、黄金時代のチームリーダー、石毛宏典氏とのLEGEND対談後編。今回も球界の現在過去未来について歯に衣着せず語り尽くす。 取材・構成=井口英規 大谷はなぜ故障したかを検証しなければならない
石毛 兄やん(
松沼博久)、工藤(
工藤公康)もそうでしたが、監督は内野手出身なのに、投手を育てるのがうまかったですよね。
廣岡 投手を育てないと勝てないからね。
ヤクルトの監督になったときも(76年途中)、まず先発投手のローテーションを組んだ。当時、ほかのチームにも、それらしきものはあったが、確立していなかった。相性で変えたりしていたからね。「5回までは我慢する。だから責任を持って投げろ」と伝え、それがいいふうにいった。選手が「監督は自分を信頼してくれる」と思ったんだね。
1年目は投手をつくり、2年目はバッティング、守備とやった。一度に1つしかできないんだ。
巨人で現役をやめ、評論家となったときに勉強したことでもある。サンケイスポーツの北川真二郎さんに「書きたいことが5つあったら、そのうち1つに絞りなさい。そうすれば、ほかの4つは枝葉になって生きる」と言われたのがヒントになったんだ。
日本一になった3年目の78年には、「巨人へのコンプレックスを払しょくするために・・・
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