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廣岡達朗連載「やれ」と言える信念

廣岡達朗コラム「お父さん……関根さんのマネは私にはできない」

 

広島での指導者時代。左から根本監督、関根打撃コーチ、そして守備コーチの筆者


 関根潤三さんが亡くなられた。

 関根さんはV9がスタートした1965年に近鉄から巨人に移籍、1年間一緒にプレーした。当時、38歳とベテラン。元祖「二刀流」と言われる全盛時の姿を私は知らない。遠征先では朝、ひとり遅く起きてくるなどマイペースを貫いていた。打ったら一塁へ全力疾走し、アウトになると淡々とベンチに帰ってくる。最低限やるべきことをやればいいんだろ、というスタンスだった。それでも、年下の選手からは慕われていた。私が「お父さん」と呼ぶと、あの柔らかい雰囲気で「ほいほい」と応じてくれた。結局、関根さんは巨人でプレーした1年間を花道に、現役を引退した。

 その関根さんと一緒に、広島カープのコーチとして根本陸夫監督に呼ばれたのは69年のオフだった。私は66年にユニフォームを脱いでいた。関根さんが打撃コーチなら私は守備コーチ。関根さんは旧制日大三中時代に、根本さんと同期の間柄だった。

 広島の松田オーナーは・・・

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