試合の全権を握る監督の“辞め方”にはいろいろある。自らの意思で辞任、あるいは完全なるクビ……。シビアに結果が出る分、円満辞任は数えるほどしかない。今年もまた、オリックス・西村徳文監督が、シーズン途中でユニフォームを脱ぐことになった。今回は、「監督交代」をテーマに球史を振り返ってみよう。 野球より愛を取った?野村克也2度の解任
選手兼任で指揮を執っていた野村監督
1977年9月26日、一部のスポーツ新聞が「野村監督解任」と書き立てた。南海の
野村克也監督である。理由は「私生活の問題」だった。まだ閉幕前だったが、この年、前期は2位、後期は3位とチーム成績はまずまず。だが、当時、夫人と別居はしていたが、まだ籍があった状態で野村監督が交際していた、のちの沙知代夫人がグラウンドまで顔を出し、作戦面に口を出すようになったと選手たちが不満の声を上げた。これが川勝傳オーナーの耳にも届き、野村監督に「野球を取るか、女を取るか」と迫り、野村監督は女を取り、結果的には解任となった。退任会見では「鶴岡元老(
鶴岡一人元監督)に吹っ飛ばされた」とも発言している。2001年、
阪神監督の辞任も沙知代夫人の脱税事件の責任を取った形だった。
タイガース伝統のお家騒動交代劇
最近はめっきり減ったが、かつて“お家騒動”と言えば、阪神の“お家芸”だった。途中解任や中傷合戦は山のようにあった。その中でも最大級と言われるのが・・・
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