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80年代のプロ野球を語る

80年代のプロ野球を語る・福本豊(元阪急/外野手) 「まさか、阪急というチームがなくなるとは思いませんでした」

 

「世界の盗塁王」にとって、1980年代は通算盗塁記録へ向け、走り続けた日々だった。80年代の終わりには思わぬ形での引退劇、さらに球団譲渡の衝撃にも見舞われることになる。
取材・構成=藤本泰祐 写真=BBM


不本意だった「世界最多達成」


 1972年に日本最多のシーズン106盗塁を記録した福本。70年からの連続盗塁王は途切れず、80年代に入っても82年までこのタイトルを獲得し続ける。80〜82年の盗塁数は偶然かどうか、いずれも54個。そうして盗塁を重ねるうち、ルー・ブロック(元カージナルスほか)のメジャー記録、通算938盗塁が視界に入ってきた。

 このあたりの年は、そんなに無理しては走っていなかったですね。ただ、盗塁王は、「自分が獲(と)るもんや」と思ってました。(盗塁数で)2位の選手が迫ってきたらちょっと走って差をつける、という感じで走ってましたね。タイトルは続けられる限り獲り続けようと思っていました。ちょうど、ボクシングの具志堅用高さんが世界チャンピオンを13回防衛してた(80年)ので、13年連続を目標にしていました。

 盗塁王は13回で、83年には大ちゃん(大石大二郎=近鉄)が盗塁王になります。まあ大ちゃんやったら、その先何年もタイトルを獲っていけるやろうし、僕と同じ西本(西本幸雄)さんの教え子やし、エエ後継者やという気持ちもありました。こっちもその年、通算939盗塁をやって、ちょっとしんどかったし、「獲るんやったら、後を続けて獲れよ」ということで、そんなに差はなかったと思うけど、最後はこちらもあんまり走りませんでしたね。

 ルー・ブロックの記録は、900個いって、そのシーズンで届くぐらいになったときに、担当記者の人に教えてもらったのかな。それまでは全然知らんかったんですよ。でも・・・

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