この連載がスタートしたのは1994年です。今年2012年で19年目に入ったことになります。19年。高校を卒業するのが19歳の年ですから、まあよく続いたものです。
94年のスタート時から読んでくれている読者も多いかと思いますが、「豊田の言いたいことは分かった。もういいかな」とこの欄を“卒業”した人も多いことでしょう。それで結構なんです。人生のある時期に、野球をそんなふうに見たり、書いたりするオモロいプロ野球OBがいたなあという経験をしてもらっただけで十分なのです。“卒業”する人がいる一方で、“入学”してくれた読者もいることでしょう。去年あたりから読み始めたルーキー読者は、まあ、この欄の新入生でしょう。オレもこの2月12日で77歳になります。この年になると十代の読者は、オレが何者であるか、見当がつかんと思います。見当がつかないまま読んでもらうのは、不親切でしょうから、今回は、新入生に向けての
豊田泰光の19年目の自己紹介をしてみましょう。
大学かプロか──父の病気でプロへ。宇高スカウトのすごさとは?
オレが生まれたのは1935年。日本中に戦争の気配が色濃くただよい始めたころです。幸い、オレも両親と弟妹もこの戦争の時代を生き延びて戦後を迎えたのですが、ここでオレは野球と出合いました。小学校の先生が倉庫から持ち出してくれたソフトボールの道具一式。これがオレの人生の方向を決めちゃった。打てばとてつもなく大きなホームラン。走ればだれよりも速い。
先生は「豊田、おめえは大したもんだ。すごい野球選手になれるぞ」。人間というのは、ホメられると、頑張るものなのです・・・
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