週刊ベースボールONLINE

豊田泰光のオレが許さん!

プロOBが高校野球の指導者になるとは?

 

「この監督の元でやれてよかった」という思い出を選手に残せるか?


 先週号で積み残したプロOBの高校野球指導者になる道が大きく広げられた問題ですが(まだアマ側がプロ側に条件緩和策を示しただけですが)、これはねえ、「高校野球の監督になったはいいけれど……」で、なってからどうするか、どうなるか、の問題がキッチリと考えられんと、困ったことになる予感がオレにはあるんですよ。

 プロ、アマの両方で座学の研修を受ければOKというのが緩和案なのですが、オレはね、個々人の適性がこれだけで判断できるかねえ、という疑問がまず湧いてくるんですよ。高校野球というのはね、野球をやっていく段階で一番大事なところなんですよ。ここは技術指導さえできればいい、なんて甘い考えでは絶対やれんところなんです。

 だから、ここでは、まず教える人の「人間」が問われるんです。ここが忘れられると、教員という立場にあるのにもかかわらず、30発も生徒を殴る顧問が出てきちゃうんですよ。

 元プロが監督になると、その人の元所属球団とのつながりから、いろいろ問題が起きるのではないか、また、資産面から考えると、私学の強豪校に有名OBが集まるのではないかという懸念もありますが、高校生たちに「ああ、この監督のもとで野球がやれてよかったなあ」という思い出が残るかどうか、オレはこれが一番大切だと思う。これがなかったら、高校生を指導する意味なんてないよ、ホント。

 だから、監督の「人間」が問われるんです。これは大変な問題ですよ。プロOBのあなた、「オレは大丈夫」と即答できますか?できんでしょうが。だから、これまでの「教員免許を取得して中学、高校で2年の教諭歴」という高いハードルの条件にも、それなりに意味があったんです。教壇に立って2年間13〜18歳の子どもたちとの接し方を学び(そう、学ばなくちゃいけないんです!)、しかるのちに、野球の指導に入る、これはなかなかいいやり方だったのです。

 でもまあ、これはやっぱり、大学に通ったりしなくちゃいけないから、フツーのプロOBには難しい。そこで、いまは遠ざかっちゃったけど、オレはスタート時の「日本プロ野球OBクラブ」で、「その時」のために技術指導だけじゃなくて、先に書いた子どもたちとの接し方を学べるようなOBの組織にして、野球界に恩返ししていきたいと、いろいろ試行錯誤したんです。

 ここはね、プロ、アマもう1度真剣に話し合った方がいい。プロOB監督の粗製濫造に終わらんように、両方で監督の「人間」を磨く機会をどうやって与え、どのように磨くかの方法論を作り出してほしい。

二軍の若手はやめたあとが不安だという。でも、これは仕方のないこと


 さて、今週号はプロ野球写真名鑑号だそうです。読者には年に1度の最高のプレゼントなのでしょうが、載せられた方にも、いろいろ思い出がありますよ。オレが初めて名鑑号に載ったのは、もちろん新人の1953年ですが、当時の月刊の「ベースボールマガジン」の名鑑には住所番地が最後まで載っていました。だから、読者からのファンレターが当時住んでいた日立市の家にどんどん舞い込みました。オヤジは「ありがたいことだ。ちゃんと返事を書きなさい」なんて言ってましたが、とてもじゃないが、返事なんて書ける枚数ではありません。机の上に山積みされて、天井に届くんじゃないかと思うほどの枚数です。申し訳ないけど「返事はご勘弁を」でしたよ。

 思ったのは活字メディアの影響力の大きさでした。子どものころは小遣いなんか微々たるものだから「ベースボールマガジン」は4、5人で“共同購入”です。で、最後はオレのところで「豊田、お前は選手だから、保管しとけや」となる。昔のことですから写真なんか正面でニッコリみたいなものばかりでしたが「あ、川上だ、大下だ」と大騒ぎ。十分満足でした。

 カラーフィルムなんか使ってない(使えない?)時代でもカラーグラビアのページがありました。これは人工着色といって、モノクロ写真に色をつけたものだった。略して人着の名人が浅草あたりにいたそうです。我々子どもはそんなことは知りませんからね、カラーというだけでウットリして、もうそのページを開く時は、汚れないよう、破かないよう、細心の注意を払ったものです。いまの読者は「週ベ」を開く時、どんな感じなのかなあ。

 最後にちょっと気になる記事があったので、それに触れます。NPBが二軍の若手選手の意識調査をしたら、6年連続で野球をやめたあとが不安だという回答が70パーセントを超えたというものです。

 これってね、突き放すようだけど、仕方がないことですよ。プロ野球選手がすべて成功したら世話はありません。競争社会なんだから、才能のない人ははじかれても仕方ないんです。まず、プロ野球選手はここからスタートせんと。「クビになったらどうしよう」ではなく「クビになるのは当たり前。その時は、また気合を入れてやり直しだ!」の強い気持ちで再チャレンジするしかないんです。

 今週使ってもらった去年のDeNAの入団発表写真では、みんな夢と希望に胸がふくらんでいる感じですが、夢は夢としてしまっておいて、この世界は優勝劣敗の世界なのだというリアルな認識も持ってほしいんです。

昨年のDeNAの入団発表風景。若い選手が夢を持つのは大事だが、厳しい競争社会であるというリアルな認識も必要だ[写真=矢野寿明]


 先のことを不安がっても仕方がないんです。その時は、その時。その時が来て、自分を見失った状態なのが一番まずい。こんなご時世ですから、再就職はそう簡単にはいかないでしょう。でもね、これは、野球選手に限ったことじゃないんです。「どうしてオレだけが……」という気持ちにだけは絶対ならんでほしい。

 DeNAの写真を使ってもらったついでに言っとくと、ベネズエラの21歳の捕手(カージナルスの1Aでプレーの経験)をテストして日本で育てたいという記事が載ってましたが、その前に日本人の捕手を育てなさいよ。ここに写っている人たちのヤル気をそぐようなことはやめた方がいい。球団はヨソ見をせんで、オーソドックスにやってほしい。
豊田泰光の“オレが許さん”

豊田泰光の“オレが許さん”

レジェンド・豊田泰光氏が球界を斬る!

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング