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日本のプロ野球出発に大きなインパクトを与えた31年来日の全米軍
ゲーリッグの骨折というハプニングも!

 



 今週号から「おんりい・いえすたでい」が再登場です。

 昨年筆者は「対決で振り返るプロ野球80年史」というページを担当したが、思い返すと、もう少し「プロ野球前史」を詳しく書いてもよかったかな、という反省がある。1934年のベーブ・ルース一行の全米選抜軍が、日本のプロ野球誕生に大きなインパクトを与えたのは、余りに有名だが、その3年前の31年の全米選抜軍のインパクトも相当なものだった。34年は、文部省の野球統制令のおかげで、日本は、現役の大学生選手の出場が不可能になったが、31年は主な相手が、当時人気絶頂、実力も絶頂の東京六大学のチーム、選手たち。野球ファンとしては、こちらの大会の方に胸躍らせたのではなかったろうか。なにしろ、野球と言えば六大学の時代だったのだから。

 さて、アメリカ・チームの超目玉は、アスレチックスのレフティ・グローブ。第2戦の早大戦で、8、9回を21球で6連続奪三振の快投は、伝説になっているが、この試合、早大が伊達正男投手の力投で7回表までは5対1とリードしていただけに、いっそう悔しさがつのったのだった(8対5で全米の逆転勝ち)。

 打者では、ヤンキースのルー・ゲーリッグだった(写真、神宮球場で)。同じヤンキースのベーブ・ルースが独占してきたホームラン王のタイトルをこの年ゲーリッグが奪ったのだ(正確にはルースと46本でタイトルを分け合う)。ついでに184打点で打点王も。安打も211でア・リーグ最多。ゲーリッグ27歳、まさに絶頂期だった。

 しかし、好事魔多し。前橋での試合で立大・辻猛投手の投球を右手に受け骨折。あの連続試合出場の大記録の途中だったので日本側は青くなったが、ゲーリッグは「大丈夫。それより、日本の選手は基礎ができていない。試合中、半分眠っているように見える。もっと闘志を!」と逆に激励してくれたのだった。
文=大内隆雄
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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