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プロ野球のトレード第1号は巨人→金鯱の二出川延明。しかし、二出川はすぐ審判に。金鯱はトレードマネー500円を損した!?

 

文=平野重治


 今週号は各球団の補強事情の大特集だが、いつの時代でも、どんな選手をトレードで獲得するかが、最大のポイント。ルーキーや新外国人が大当たりすれば文句はないのだが、そうそう、うまくはいかない。やはり、トレードに頼らざるを得ないのだ。

 さて今週は、プロ野球史上、トレード第1号となった選手を紹介してみたい。1936年2月28日に名古屋金鯱軍が創立されてプロ野球は7球団となり、この年の4月からプロ野球のペナントレースがスタートするのだが、もう1月5日には、プロ野球第1号球団の巨人から、この金鯱にトレードされた選手がいる。金鯱はまだ設立準備中だったが、巨人は、ポ〜ンと超有名選手を提供した。このへんの事情を『東京読売巨人軍五十年史』(85年9月発行)は、こう説明する。

「二出川(延明)主将が新設の名古屋金鯱へ移籍したが、これは日本のプロ野球育成という大乗的見地から、正力(松太郎読売新聞社長)が金鯱の懇望をいれたものだった(中略)二出川の移籍は日本のプロ野球最初のトレードである」

 二出川は、前年の35年に挙行された巨人の第1回渡米遠征時の主将。明大時代は名外野手として人気を集めた選手だ。その二出川を惜しげもなく金鯱に与えたのだから、いくら大乗的見地とはいえ、思い切ったことをやったものである。

 もっとも無償提供ではなく、ほぼ同時に、やはり金鯱にトレードされた江口行雄内野手(享栄商)と2人合わせて1000円のトレードマネーをしっかり得ている。

 二出川はしかし、金鯱ではプレーせずにすぐ審判に転身。試合に出ることはなかった。どういう事情があったのかは詳つまびらかではないが(金鯱は500円の損!?)、この二出川の判断は大正解だった。あの「オレがルールブックだ!」で有名になる、毅然とした審判ぶりで、長くパ・リーグ審判部長を務めることになる。写真は35年6月30日、ハワイでの対ワンダラーズ戦前の二出川ら。後列左から3人目が二出川。前列右端に沢村栄治の顔も見える。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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