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野球写真コラム

1試合2000人しか入らない球団もあった時代のパ・リーグも“黄金カード”ならこのとおり。本塁打の打者は全員でお出迎えが恒例だった

 

文=平野重治



 いま机の上に、パ・リーグの昨シーズンの観客動員数の一覧表があるが、ロッテ以外は、すべて1試合平均2万人を超えている。閑古鳥鳴く昔のパ・リーグの球場を知る筆者などには、信じられない数字である。この1957年の写真(南海-西鉄戦。大阪球場)のころは、1万人を超えたのが西鉄のみ(1万228人)で近鉄などは2303人(ヒトケタ違う!)という悲惨な数字だった。とにかくパ・リーグ全体で280万人ちょっとなのだから、昨年のソフトバンクの253万5877人といい勝負。この57年の各球団の発表動員総数の下1ケタはすべて「0」だから、現在のような実数発表ではなかったことが分かる。だから実際は、もっと少なかったハズだ。

 それにしては、この写真は超満員ではないか?なぜ?そう、このカードだけは満員になったのです。DeNA高田繁GMは大阪の南で育ったが、このころの南海-西鉄戦の熱気はすごかったと言う。「プロ野球と言えば、南海-西鉄。阪神になんか興味はなかった、というより知らなかった」と高田GM。いまのパ・リーグ、お客はよく入るが、南海-西鉄のような“黄金対決”がないのが残念だ(セ・リーグも同じで、巨人-阪神戦にも昔のような迫力がない。「文句なし!」のスターが不在なのだ)。

 小さい写真で申し訳ないのだが、これは西鉄・中西太がホームランを放ってホームベースを踏んだところで、大下弘(背番号3)らが出迎えている。この中には豊田泰光関口清治仰木彬らもいる。上方の60番が三原脩監督。球審からボールを受け取ろうとしているのが、南海・野村克也捕手。監督は鶴岡一人。翌58年に立大から杉浦忠が南海入団。役者がそろい“黄金カード”はピークを迎える。

 さて、この写真には西鉄の監督、コーチ、選手が21人も写っている(ブルペンのバッテリーを除く)。どうしてこんなに?当時は、本塁打した打者をベンチ総出で迎えるのが“礼儀”だったのである。いまは禁止されたが、当時は本塁打がそれだけ貴重だったのだ。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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