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「どこにもやらん」の南海ファンの願いもむなしく九州へ去ったホークス。28年後には「やってよかった」へ

 

文=平野重治



 福岡ソフトバンクホークスは、3連覇に向けてスタートを切ったが、V3は、前々身の南海が成し遂げている。それは、51〜53年と64〜66年の2度。前者はパ・リーグ初のV3であり、後者の3年目は、あの鶴岡一人監督の最後の優勝だった。この66年までV3を2度のチームは、パ・リーグでは南海のみ。3連覇はホークスの代名詞のようなものだった。

 89年からのダイエー、そして、2005年からのソフトバンクも、かつての南海に劣らぬ強チームになったのだが、V3は達成していない。今シーズンは、その“お家芸”が復活する期待がかかる。

 で、今週の写真だが、こんな横断幕が本拠地の大阪球場のド正面で広げられるほど、南海の末期はひどいものだった。これは88年9月の1枚。この年の5月に、だれよりもホークスを愛した川勝伝オーナーが死去したのが転機だった。極端に言えば、赤字続きの球団の存続を願うのは、電鉄本社にも球団フロントにも川勝オーナーを除いて1人もいなかったという状態。そこに同オーナーの死去。球団売却への動きが一気に加速した。8月末にはダイエーが買収へ、の報道。南海・吉村茂夫オーナーも、ダイエーの中内功社長も「絶対ない!」と全否定したが、その舌の根も乾かぬうちに9月21日に南海のダイエーへの譲渡が発表された。

 ダイエーは、大阪でチームを存続させるつもりなど毛頭ない。79年、クラウンライターが西武となって所沢市へ去ったあと、主を失った西鉄ライオンズの“聖地”平和台球場(福岡市)を新生福岡ダイエーホークスの本拠地とする予定。中内社長には、福岡をダイエーのアジアへの展開の窓口にするという目論みがあった。

 これにはオールド南海ファンが怒った。「こともあろうに、かつての宿敵・西鉄の本拠地に移るとは。ホークス魂はどこへ行ったんや!」と。で、こんな横断幕となったワケ。

 それから28年。福岡移転は大成功だった。この世界、何が幸いするか分からない。右端の「ホークス応援団」のハッピ姿のお兄さんはいまでもホークスファンだろうか――。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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