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野球写真コラム

「野球映画」は、まったく作られなくなったが、「男ありて」(57年)は中身もよかったが、球場も立派な脇役として存在感があった

 

文=平野重治


 ユニバーサルスタジオジャパンは沖縄進出を断念したようだが、筆者の子どものころ、ユニバーサル映画の回転する地球のマークを見るのが楽しみだった。どうかすると映画そのものより楽しみにしていた。しかし、いつも見えるのは北米、南米の両大陸(ユニバーサルとは言えない?)。「日本はどうしたんだ!」と憤慨したりしていたのが、いま思うとおかしい。

 筆者は「死刑台のエレベーター」、「十戒」、「慕惰」、「帰らざる河」などを小学校低学年でナマで見ている。この“リアルタイム・ムービー・ウオッチング”は、ちょっと自慢である。

 野球映画のジャンルでは(最近はまったく作られなくなった)、丸山誠治監督の「男ありて」(1957年)が初めてだった。何しろ出演者がすごい。志村喬、三船敏郎、夏川静江……。藤木悠の左腕投手は演技もプレーも下手クソだけれど、子どもには「カッコいいなあ」と映った。と書いてきて「その人たち、だれ?」と言われそうで心細くなってきたが、筆者だってこんなオジサン、オバサン(失礼!)に用はない。とにかく、岡田茉莉子が観たかった。どうです、この岡田の愛らしさと美しさ!(右端)。その左が母親役の夏川静江(この人もきれいだった)。左端が主人公の志村喬。もう監督の仕事をやめようかという設定で、男の悲哀がにじみ出た秀作。天知俊一元中日監督や鶴岡一人元南海監督がモデルではないかと言われている。

 志村喬の代表作と言えば、黒澤明監督の「生きる」(1952年)だが、作品の情調としては似たところがある(黒澤ファンは「一緒にするな」と怒るかもしれないが。でも、丸山監督は、なかなかの腕前ですよ)。

 のちに観直してみると、昔の懐かしいスタジアムがたくさん出てくるので楽しかった。後楽園球場、中日球場、そして、大阪球場。特に大阪球場がよかった。あの急傾斜のスタンドが、何とも美的に見えた。50年に完成した大阪球場は、翌51年には照明設備がついた。当時、西日本では唯一、ナイターが行える球場。57年には田舎の小学校2年生だった筆者には、ナイターは、まさに夢そのものだった。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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