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故鳩山邦夫氏の祖父、一郎元首相は、巨人の初代後援会長だったのをご存じか。41年と思われる“音羽御殿”での貴重な1枚

 

文=平野重治


 元法務大臣の鳩山邦夫氏が亡くなった(6月21日、享年67)。鳩山氏とは1度だけ電話で話したことがある。1987年7月17日に石原裕次郎が亡くなったが、当時勤めていた新聞社のデスクから「裕次郎ファンの邦夫氏のコメントを取れ」と命じられ電話したのだが、相当にきこしめされているご様子で「困ったな」と思ったが、酒にはかなり強いのだろう。スラスラとよどみなく話してくれた。ほとんどその内容は忘れてしまったが、覚えているのは、こんなセリフだ。

「裕ちゃんの歌はいくらでも歌えるよ。我々の世代は、み〜んな裕次郎ファン。君だってそうだろう。歌ってやろうか?」。兄の由紀夫氏と違い(由紀夫氏はまだ政治の表面に出てきていない)、このへんが有権者に親しまれる庶民性だったのかもしれない。

 祖父は、鳩山一郎元首相。元首相は巨人の初代後援会長で、この欄で、いわゆる“音羽御殿”に巨人の選手を招いた写真を紹介したことがある。その1枚には、水原茂監督に抱かれる由紀夫クン、川上哲治選手に抱かれる邦夫クンが写っていた。

 ところで、元首相は、戦前の文部大臣時代、野球界にとっては“天敵”だった。32年4月1日、あの悪名高い「野球統制令」を布告したのが鳩山文相だった。しかし、日本人の野球熱は衰えず、36年にはプロ野球がスタートする。すると鳩山サン、すぐに巨人軍の後援会長を引き受けた。こういう変わり身の早さがないと政治家は務まらないのかも。

 写真は多分、41年夏のものだと思う(この年秋に入営する千葉茂=後列右端、吉原正喜=前列右から4人目らの姿がまだあるので)。川上哲治(後列左から3人目)は翌42年の入営。エースの沢村栄治(後列右から2人目)は、この年2度目の召集があり、43年に戻るが、3度目の応召で戦死する。スタルヒン(沢村の左)、中島治康(スタルヒンの左)の顔もあるから、戦前の最強巨人軍の最後の勢ぞろいと言えるかもしれない。

 中列の中央で腕組みしているのが鳩山サン。子息の威一郎氏(元外相)はいない。もちろん由紀夫クン、邦夫クンは、この世に存在していない。

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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