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FA市場の主役は岸孝之、糸井嘉男の2人となったが、昔もA級10年選手という「FA」があった。田宮を失った阪神のお粗末

 

文=平野重治


 今年のFA市場の目玉は、岸孝之投手(西武からFA)、糸井嘉男外野手(オリックスからFA)の2人だが、現在のFA制度は1993年のオフからスタートしている。もう23年の歴史があるワケだが、それ以前にもFA的な制度がプロ野球には存在した。それは、A級10年選手の特権で、10年プレーすれば、ボーナスか、移籍の自由を選ぶことができた。この制度は、60年に新制度に変わり特権がなくなった(52年以降に入団の選手はボーナスのみとなった)。だから、FAで移籍の自由が復活するまで33年のブランクがあったことになる。

 しかし、この33年こそ、戦後プロ野球の黄金時代であり(ON時代、ドラフト制、巨人V9、阪急、西武、広島の時代。団塊世代の大活躍。ヤクルトの時代の入り口)、筆者などはいまだにFA反対論者である。

 ただまあ、選手にしてみれば、好きな球団に移れて、大金も手にできるFA権は、絶対手離したくない権利だろう。

 A級10年選手の特権があった時代は、それほど多くの選手が特権を行使したワケではない。在籍球団とのボーナス交渉で手を打つことも多かった。しかし、中には「もうやってられない」と球団を飛び出したスター選手もいる。それが、阪神田宮謙次郎外野手。田宮は打率.320で58年に首位打者に輝いた打者(結果的にこれが巨人のルーキー・長嶋茂雄内野手の三冠を阻むことに)。

 その打者が、このオフ、阪神との契約更改交渉が不調に終わり、A級10年選手の特権を行使する道を選んだ。このときの阪神の提示額はひどい低額だったらしい。この年オフに獲得した関大のエース・村山実投手の得た契約金は、巨人の提示した契約金の半分にも満たない額だったという。それでも村山は、黒田並みの「男気」で、「東京の巨人をやっつけたる!」と阪神を選んだ。ことほど左様にケチケチ球団だったのだが、田宮は4000万円とも言われる入団契約金(長嶋の契約金が1800万円)で大毎に移った。あの近鉄でさえ、佐伯勇オーナーの決断で3000万円用意した。阪神は貧すれば鈍すの典型でその後の戦いを見れば分かる。

 写真は58年12月27日、大毎入りを表明する田宮。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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