1992年バルセロナで銅、96年アトランタで銀と、日本代表のエースとして2度のメダル獲得に貢献。2000年シドニーでは日本選手団の主将を務めるなどオリンピックで3度にわたり日の丸を背負った“ミスター・アマ野球”杉浦正則。同志社大時代には関西学生リーグで通算23勝、日本生命では都市対抗を2度制し橋戸賞にも2度輝いた右腕は、再三にわたるプロからの誘いを断り、オリンピックでの金メダル獲得だけを目指し続けた。
初代表は同大4年時の90年アジア大会で、初めてオリンピックの舞台を踏んだ2年後のバルセロナでは5試合に登板。準決勝の台湾戦で痛恨の逆転負けを喫し涙をのんだ。
雪辱を期して臨んだアトランタ・・・
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