石嶺和彦(1961〜) 「セ・リーグだったら捕手失格の段階で終りでしたね」 1979年ドラフト2位で阪急に入団した高卒捕手は、1年目にファームで打率3割をマークし天性の打撃センスを披露したが、高校時代から痛めていた左ヒザをオフに手術。3年目から一軍でマスクをかぶったものの、ヒザの故障がネックとなり84年に外野手へと転向した。
福本、簑田ら一流どころがひしめく外野陣の中でレギュラーの座は遠かったが・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン