中大時代に東都大学リーグでベストナインを2回獲得し、1971年ドラフト2位で近鉄に入団した好打者は、名将・
西本幸雄監督の厳しい指導を受けながら黙々と鍛錬を積み、5年目の75年に遊撃のレギュラーに定着した。
チームメートから「彼が大声でしゃべるのを聞いたことがない」と言われる寡黙な性格だったが、7年目の77年には主に一、二番を打ち全試合に出場し、キャリアハイの打率.285をマーク。オールスターへの初出場も果たし、初タイトルのベストナインを獲得するなど頭角を現した。
石渡が2度目のベストナインを手にしたのはチームが初優勝を遂げた79年であるが、ファンの記憶にその名が深く刻まれるのは、同年の
広島との日本シリーズ・・・
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