まだ韓国にプロリーグのなかった時代に、あこがれの日本球界へと渡ってきた俊足、強打の捕手。1962年に東映フライヤーズに入団した
白仁天は、ジャパニーズ・ドリームを実現したパイオニアだ。
来日から1年半は二軍生活が続き、言葉や食事の違いにも苦しんだ。特に日本の朝食になじめず、3カ月ほどの間、まったく口にできなかったという。それでも、在日韓国人二世である先輩の
張本勲のサポートもあり、徐々に慣れていった。
「日本では野球を習うだけではなくて、野球を通じて人間完成に努めるのが目的。そのためにも、すべての物事に対して逆らうことなく、自分を無にして順応してきた」という白は・・・
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