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監督時代のドラフトの思い出

 

 クライマックスシリーズ、日本シリーズ。球界は同時にドラフト会議の季節でもある。桐光学園高の松井裕樹君はどこへ行くのか。古巣の巨人は誰を1位で指名するのか。競合か1本釣りか。興味は尽きない。

 監督時代、ドラフト会議に3度出席した。会議の時点で指名選手は決まっている。ほとんどがスカウト任せだから、指名選手の詳しい特徴までは分からないのが実情だ。特に私が監督をしていたころは「自由枠」などというものがあり、当日のドキドキ感がなかったりもした。

 監督に就任した2003年のシーズン終了後に行われたドラフトの自由枠で取ったのが内海哲也だ。高校時代にオリックスに1位指名されたが、拒否して東京ガスに入社。3年越しで、祖父と同じ球団に入団するという夢をかなえた。入団当初、どれだけ投げさせてもへばらない。馬力だけは人一倍強かった。数多く投げさせればモノになると思い、起用した。エースとして君臨する今の活躍、あのときの目に狂いがなかったことになり、彼が好投するたびにうれしい。

 そして、その年の2位が西村健太朗だ。150キロ近いストレートを持っている上に、高校生とは思えないスライダーを投げた。先発、中継ぎ、何でもやらせたが、人がいいのか、自信がないのか、マウンドでおどおどしていた印象が強い。だが、実績を作るたびに、マウンドで落ち着きが出てきた。自信がついてからは、右打者の内角にシュートを投げられるようになった。この球が今では西村の大きな武器になっている。今年はセーブ王にもなった。マウンドさばきも堂々したもので、すっかり風格も出てきた。自信とは恐ろしいものだ。西村を見るたびにそう思う。

 この2人以外にも2005年の大学・社会人ドラフト4巡目の越智大祐、育成ドラフトの山口鉄也がいる。彼らはドラフト上位ではないが、確実に巨人投手陣の屋台骨を支える存在になってくれた。スカウトの眼力、コーチ陣の指導に感謝するばかりだ。

 そんな“成功者”たちの陰で、周囲の期待を一身に受けながら、一軍に上がることもなく、消えていく選手もいる。巨人がリーグ優勝を飾った数日後、「辻内崇伸投手に戦力外通告」のニュースがスポーツ紙に出た。私が監督を辞める2005年のドラフトで取った選手だけに、思い入れは強い。あのドラフト会議、もう辞めることは確定していたのだが、ドラフト会議には出席した。オリックスと指名が競合し、抽選になったのだが、当時オリックスの中村勝広GMが手を挙げたから、こちらはてっきり外れたと思い、中身も確かめないまま席に戻った。ところが、陽岱鋼の指名でソフトバンクと競合した日本ハム高田繁GMが「ホリ、こっちの方が当たりじゃないのか」と言う。よく見ると「交渉権確定」の判がある。日本ハムも陽岱鋼を“取り損なう”ところだったのだ。今では笑い話になるが、高校球児の、その後の人生も狂わせかねないミスになるところだった。

▲2005年のドラフトで辻内をオリックスと競合。クジ引きの末、オリックス・中村GMが引き当てたと思い手を挙げたが……実は「交渉権獲得」のクジは巨人・堀内監督の手にあった[写真=BBM]



 そんなドタバタもあったから、辻内君のその後には注目をしていた。だが、たび重なる故障で150キロの速球を一軍で見せることなく、巨人のユニフォームを脱がなければならなくなったのは惜しい。

 今年も大勢のアマ選手にプロへの道が開かれる。しかし、忘れてはいけない。あくまでここがスタートだということを。目標は第2の内海、西村、山口だということを。
堀内恒夫の多事正論

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レジェンド堀内恒夫の球界提言コラム。

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