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遠征の宿舎今昔物語。有名ホテルで快適に過ごす現代の選手には、信じられないようなことばかりの大昔。それでも、よき時代だった

 

 プロ野球に遠征はつきものだが、最近は、敵地への移動も昔に比べればずいぶん楽になった。飛行機や新幹線を使えば、ひと眠りする間にもう到着。最長移動の札幌-福岡でも、乗り継ぎ時間は別にするとフライト時間は3時間ちょっと。これが、昭和30年代なら、丸1日かかっても、まだ大阪あたりだろう。

 昔の西鉄のプレーヤーたちに聞くと、移動そのものには、それほどの問題はなかったという。「そういうものだ」とあきらめていたらしい。問題だったのは、ホテル。いや当時はほとんどが日本旅館だったが、この「身体を休め、かつ1日の活力をつける施設」が、どうにもたまらないシロモノだったらしい。8畳間に6人ぐらい放り込まれ、もちろん、エアコンなどない。狭い風呂は、すぐに泥水のようになる。食事もお粗末。もっとも、この食事に関しては、球団格差がひどかったようで、甲子園球場や西宮球場で試合があるときに各球団がよく利用した芦屋の竹園旅館は、巨人と他球団では、まるで違っていた。「たまたま、巨人の水原(茂)監督を訪ねることがあって、竹園に行ったのだけど、こんなもの食ってるのか、とその豪華さに驚いたよ。さすが巨人と思ったのは、監督の水原さん用の食事が用意されていたこと。水原さんの好みに合わせて出すんだよ」と言うのは元西鉄の豊田泰光氏。

1958年ごろの、遠征先宿舎での、河野昭修内野手[右]ら西鉄ナイン。将棋に飽きれば次はマージャン?


 まあ、いまはこんな格差はないだろうし、まず、泊まるホテルが、しっかりした“銘柄ホテル”である。東京ドームで巨人戦があるとき、阪神広島中日が利用するホテルは、ザ・プリンスさくらタワー東京、品川プリンス、そして、ニューオータニである。これなら文句はない。

 筆者が東京遠征の宿舎をよく取材して歩いたころ・・・

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岡江昇三郎のWEEKLY COLUMN

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プロ野球観戦歴44年のベースボールライター・岡江昇三郎の連載コラム。

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