『ベースボール』より『野球道』を追求
私が捕手として
川上哲治さん(当時
巨人)と初めて対戦したのは1957年、オールスターに初出場したときだった。川上さんは、全セの四番。少年時代から川上さんにあこがれていた私は緊張し、ピッチャーへのサインも出せないまま、川上さんのつま先から頭のてっぺんまでを眺めていた。それでも川上さんは打席を外さず、ジーっとバットを構え、微動だにしない
バッティングは、タイミングだ。ところが川上さんは、「いったいどこでタイミングを取っているんだろう」と思うぐらい、ピクリともしなかった。そしてボールがヒューッと来るや、バーンッと打ち返す。マネしたくともマネできるようなバッティングではなかった。
川上さんが野球に取り組む姿勢は、まさに『野球道』だったのだと思う。われわれのような遊び半分の“スポーツ”ではなかった。バッティングも同様に、『打撃道』だった。故に、圧倒された。
実はあのとき、川上さんの打席で自分がどんなサインを出したか、結果がどうだったかは、興奮、緊張でまったく何も覚えていない。私にとっては、まさに“夢の球宴”だったのだ。
選手時代の私は、川上さんの放つ強烈なオーラの前に、お会いしてもあいさつするだけで精いっぱいだった。とても言葉を交わせるような雰囲気にはならなかった。川上さんと話をする機会を得たのは南海監督時代、72年のオフ・・・
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