私が指導者なら長野とじっくり話をする
この連載で何度か指摘してきた、
巨人・
長野久義の“積極性の勘違い”について、担当編集者から読者の反響を聞いた。
「まさに、そのとおり」
そんな声がいくつも届いているそうだ。
子どもを見れば親が分かるように、選手を見れば監督が分かる。怖いものだ。見る人が見れば、「指導者は何を教えているのだろう」ということになってしまう。
私がもし彼を指導する立場にあったなら、まずはじっくり話をするだろう。「野球とは何か」──本人の野球論、野球というものをどう考えているのかを聞いてみる。こちらから押し付けるだけではダメだから、初めに本人の考えを聞いておくわけだ。そして、間違った方向に進んでいることが明らかであれば、正しい道しるべを示してやる。
監督、コーチは“舵取り”である。いくら言葉で「フォア・ザ・チーム」と言っていても、実際のプレーが「フォア・ザ・チョウノ」では、チームの一員として機能しない。
何度も言うが、野球は状況判断がすべて。四番バッターでも、状況によってはワキ役にならなければいけないことがある。例えば・・・
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