顔だけで年上と思い、敬語を使っていた
7月に入って間もなく、上田利治の訃報が飛び込んできた。
広島、阪急(オリックス)、日本ハムでコーチ、監督を歴任。1999年に日本ハムの監督を辞してからは、関西方面で解説者活動をしていたそうだ。東京住まいの私は昨今、名前を見聞きする機会もほとんどなく、どうしているのだろうと思っていたものだ。
上田は徳島・海南高校時代から、捕手としてマスクをかぶった。関西大学では、のちに
阪神入りする
村山実とバッテリーを組み、関西六大学リーグで4度の優勝。関大法学部に一般入試で上位合格した秀才だったと聞く。広島カープに入団したが、実働3年で現役生活を終え、翌62年、二軍コーチに就任。このときまだ25歳だった。
私はパ・リーグの南海、彼はセ・リーグの広島で現役生活を送ったため、選手としてはまったく対戦していない。上田との接点は彼が71年、阪急のヘッドコーチに就いて以降のものだ。当時の阪急監督は、
西本幸雄さん。「将来良い指導者になるため、勉強したい」と、自ら進んで西本さんの門を叩いたそうだ。
実のところ、私はそれを聞いたとき・・・
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