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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「野村沙知代(2)」

 

沙知代は私にとって、本当に「いい奥さん」だった/写真=BBM


心強いひと言に、「この人についていくしかない」と思った


 他界した妻・沙知代の口グセは、「なんとかなるわよ」であった。あれはいい言葉、いい人生観だと思う。「なんとかなる」と思えば、本当になんとかなるものだ。

 1977年、沙知代とのことが原因で、私は24年間在籍した南海ホークスを追われた。関西で築いたすべてをなくした私は住み慣れた関西を離れ、東京へ向かうことになった。

 沙知代の車で、名神高速道から東名高速道へ。私は生まれも育ちも関西だから、東京へは遠征でしか行ったことがない。新しい生活はもちろん、東京で暮らすこと自体、不安だった。そのうえ、野球しかない私が球団からクビを宣告され、その野球を取られてしまったのだ。職もなく、何もかもすっからかん、すべてを失ったような気持ちになっていた。人生のどん底だったといっていい。

 車中、私たちは押し黙ったままだった。私たちの間に生まれた克則(野村克則=現ヤクルトコーチ)は、まだ乳飲み子。何より子どもたちのことが心配でたまらなかった。

「これから何をして生きていこうか」

 私はボソッとつぶやいた。すると沙知代はあっけらかんとした声で、こう言ったのだ・・・

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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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