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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「人生の“悔い”」

 

池田高を率いて甲子園で全国制覇も経験した蔦監督/写真=BBM


妻の死であらためて「夫婦とは何か」を考えさせられた


 人間とは、つくづく厄介なものだ。

 その人がいるときは何も感じないのに、いなくなったとたん、あれこれ考えてしまう。今、それを実感しているのは、女房(※編集部注:昨年12月8日に永眠した沙知代夫人)のことだ。

 仕事を終え、自宅に戻ってもガランとして、どうにも居心地がよくないのだ。そりゃあ、そうだろう。まず、話し相手がいないのだから。やはり人間、他者との会話が必要なのだと思う。家の中に一人でポツンといると、それでなくても言葉数の少ない私が、ますます無口になってしまう。

 ……と、ここまで書いてハタと気づいた。今思えば、一緒にいたときも、そこまでずっと女房としゃべっていたわけではなかった。本当は、そばにいるだけでよかったのだ。そばにいるだけで、私たちは夫婦だったのだ。

 あらためて「夫婦とはなんだろう」と考えさせられた。だから、世間一般にもよく「空気のような存在」と言われるのだろう。そこにいるだけで、女房は女房だった。そう思うと、男は本当に弱いな。女房がいなければ、こんなふうにどうにもならないのだ。

 妻に先立たれ、再婚する男性は多い。それに比べ、夫に先立たれた女性の再婚は少ないように思う。私の母も、そうだった。父が戦争で死んだのは、私が3歳のとき。しかし母は64歳で他界するまで、ずっと一人身を通した。

 私はそんな母の“遺言”を守らなかった。母がまだ存命だったころ、私の名前が次期監督として新聞に挙がり始めた。それを目にした母は、こう言った。

「監督なんかやっちゃいかんよ。皆さんに迷惑をかけるだけだから、丁重にお断りするんだよ」

「うん、分かってる」

 母にそう答えておきながら、結局、監督を引き受けてしまった。親からすれば、いくつになっても子どもは子どもなのだ。わが子は組織の頂点に立つような子ではないと思っているから、「人様に迷惑をかけるから、やめておけ」と言った。親の気持ちとしては、よく分かるのだ。

 監督就任が決まったあと墓参し、真っ先に口を突いて出たのは、詫びの言葉だった。

「ごめんな。お袋の言うことには背いちゃったけど、監督をやるよ・・・

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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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