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惜別球人2014

久保田智之[元阪神]引退惜別インタビュー「何かしら野球には携わっていきたい」

 

9年前の阪神リーグ優勝時の胴上げ投手で、年間最多90試合登板を果たした鉄腕・久保田智之。近年は右ヒジ痛により一軍の登板も減り、今年は1度も一軍に上がることはなかった。そして現役引退を発表。00年代阪神黄金期の功労者が、当時の思いや今後について、引退から2カ月後のいま、ゆっくりと振り返った。



右ヒジと向き合う日々


──引退会見から2カ月近くたちました。毎日、どのように過ごされているのでしょうか。

久保田 だいぶゆっくりしています(笑)。

──やせたように見えます。

久保田 トレーニングをやらないから筋肉が落ちましたね。

──引退会見では「まだまだ現役でやりたい」「野球に対して未練もあるし悔いも残っている」と話していました。気持ちの整理がついていないように見えたのですが。

久保田 今でもそうですよ。まだやりたいっていう思いは一生、持つでしょうね。で、後悔すると思います。

──完全燃焼はできていない?

久保田 最後に投げずに終わっているので。投げて結果が悪いんだったら、まだ納得していたかもしれないですけど。

──投げて、滅多打ちを食らった方が、まだいい?

久保田 それはイヤですけど(苦笑)、投げて打たれるとか、力を出せないみたいな感じじゃなくて、ヒジが痛くて投げられない。で、上(一軍)で投げていないっていうところで終わったので、納得のいくような辞め方では実際、ないですね。

──打たれる、打たれない以前の問題だった?

久保田 そうですね。痛さをごまかしながら投げるのが精いっぱいというか、投げることはできるけど、自分の思ったようなボールを投げられない状態でした。痛みがなければ行けると思っていたんですけど、それが長続きしなかった。すぐ痛みが出たので。結果、その痛みと闘いながら投げていましたね。

──2月に右ヒジの手術を行っても、痛みが消えることはなかったのでしょうか。

久保田 手術は軟骨のクリーニングでした。それが原因での痛みもあったと思うので、多少は痛みが取れたときもありましたけど、結局、取れて痛みが出て、取れて痛みが出ての繰り返しでしたね。もともとの原因はそれじゃなくて、1年目からじん帯を痛めて、弱っている状態でずっと十数年やってきたので、そっちの方が原因だと思います。

──プロ1年目のシーズン終盤に離脱したときですか。

久保田 そうです。ヒジのじん帯損傷で。そのときからですね。

──2007年の90試合を筆頭に多くの試合で投げてきました。当時は大丈夫だったのですか。それともかなり無理をしていた?

久保田 無理はしていないですね。じん帯はどんどん悪くなっていったというよりは、本当に少しずつだと思うし、そこまで影響はなかったです。ただ、病院に行って検査を受けたら、じん帯が弱っていることが原因で、周りの筋肉がそれをカバーしようとして炎症が起きていると言われました。じん帯自体がめちゃめちゃ悪くなったわけではないですけど、ヒジ周りに影響はあったでしょうね。

▲07年には年間90試合に登板した



投げさせてもらって幸せ


──引退はいつごろから考えていたのですか。

久保田 ここ数年はずっと考えていましたね。いつ戦力外を言われてもおかしくないなと思っていました。ただ、覚悟はしていましたけど、ヒジの痛みが今年の終わり、9月くらいに出ていなければ、たぶんもう1回、トライアウトを受けるなり、何かしていたとは思います。

──球団から戦力外というようなことを言われた?

久保田 う〜ん・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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